リモートワークと協働
自分の適応障害〜休職の、総括反省シリーズとして。
元々、今回の職場に着任する際から、うまくやれる算段あるか?と疑念あって、結果的に案の定?うまくいかなかったこと。
それが、フルリモート下でのチーム組成・メンテだった。今日はそこを考えてみたい。
マンフレッド F. R. ケッツ・ド・ブリース教授の記事から
ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)2023/12号を目にして、マンフレッド F. R. ケッツ・ド・ブリース教授のコラムを読んで、考えを巡らせるに至った。
この記事からは、適切に助けを求められないと潰れるが、つい助けを求めずに頑張っちゃって潰れがちだし、リモートワークでその傾向は悪化してる的な話が印象的だった。
自分に引き寄せて考えると
そうだ。私の今回の適応障害は、助けを求めるタイミングと相手を、うまく作れなかったのが、休職に至った主因なんだ、と気づいた。
職場でも、私の直面し抱えてた業務課題を、当事者同士としてシェアすることに失敗した。最後は、「オレはゴミ溜めだ、プロジェクト全体の厄介な問題は、オレに放り込まれる」と無力感というかサンドバッグ感を感じてしまっていた。
プライベートでも、家族と離れている上に、知己がほぼ居ない土地に来て、プライベートの癒しをシェアできる知人友人を作れずにいた。
結果的に、私の目線から見た世界は、「オレに、厳しい要求事項を突きつけてくる人達」とオレ、という認識構造に陥ってしまった。
フルリモートから始めるマネジメントって、ムリゲーな気が
私は、今回の職場に転職してすぐにフルリモートPMでスタートし、半年で潰れた。
この身の上を話すと、「コロナ禍の後、結構、フルリモートの人もいるけど」と言われるのだが、新しい職場にヨーイドンでフルリモートでマネージャーとして入る人は少ないのでは無いか?
コロナ禍前に対面で人間関係や経験評判築いた人が、コロナ禍だったり介護等の都合でフルリモート化して回ってる事例は聞くし、成立すると思う。
けど、会ったことがある人がほとんどいない会社に、新参者でフルリモートでマネージャーで入るのって、なかなか聞いたことない。私の勉強不足なのかな。
どんな人でも絶対無理とは言わないが、いきなりフルリモートでマネージャー参画は、相当至難ではないか、と、今回の経験踏まえても個人的には捉えている。少なくとも、オレの力量や特性では無理そうだと。
フルリモートでも運命共同体になれるか
定型作業を回す仕事は別として、プロジェクトを進んでくのに、フルリモートでチーム組成し運命共同体としてまとまていくのって、可能なんだろうか。
おそらく、不可能では無いんだろう。それは、同じ空間を共有している対面チームと違い、リモートでは意図的に努力しないと形成されない何かを、うまく醸成する仕組みを取り入れたところが、可能になっているのかなと。
対面とリモートだと、放っておくとコミュニケーションのあり方は全然違う。何か絶妙のバーチャルオフィス的仕組みや、コミュニケーションのルールやケアの仕方を工夫しないと、対面だと意図せず伝わることも、リモートでは全く伝わらない。
何より、「苦楽を共にする」という同舟感覚、運命共同体感覚は、周到に仕組まないと作れない気がした。
人間様も、動物だもの
結局、理屈はともかく、現実の人間は動物であり、感覚器官で得るインプットを元に組み立てられる各自が認識・知覚する世界が全て。
フルリモートで、何も特別な考慮をしないと、表情や態度や佇まいから読み取れる情報はほぼ伝わらない。
相当センシティブに哨戒活動を仕掛けないと、本人も自覚しきれてない異常とか、本人から発信しづらい信号は取れない。
加えて、同じ場にいる人は、見捨てて去るのは去る方も心理的負担が大きいが、リモートは去るのに抵抗が小さい。「悪いけど力になれないから自力で頑張って」と見放すのも、リモートならやり易い。
薄情といえばそうだが、無理もない。人間とて動物。遠距離恋愛になると続かない確率が上がっちゃうし、音楽ライブも会場にいかないと盛り上がらないし、スポーツ観戦もスタジアムの熱気はテレビじゃ分からない。
人間とて動物なので、空間時間を共有するかどうかで感じ方が差が出るのも当然。
…でも、うまくやってる組織もあるのかな。ヨーイドンからフルリモートで最強チーム、とかできてる組織あったら、秘訣を知りたいと思う。