雑感:バイパスはへドリアン女王
2度目の原チャ旅も、東京を出てから5日目。広島県福山市まで来た。9月に行った1度目は、広島から東京へ、海沿いより山伝いに旅したが、今回はどちらかと言えば臨海部多目。
(ここまでを、10月27日夜に書いた。)
高速道路が使えない、有料道路は外す、自動車専用道路(田舎のバイパスに多い)は乗れない、の制約の中でこの2ヶ月で1,500km近く走った中で、感じたことがある。
旧道とバイパスについて。バイパス建設が盛んになった数十年前から繰り返されている議論だが、改めて我が身で体感して、書いてみたくなった。
バイパスが無かったら…この行程は無理
9月の1度目は、広島ー東京間を3泊4日で移動した。今回は、東京ー広島間を2泊3日で移動した。
今回の2泊3日の移動は、2日目が大移動だった。静岡県静岡市の蒲原から、兵庫県神戸市の摩耶まで、実走距離で410kmを移動した。
やってみて、多分、これが限界だなと思った。今回は東京の自宅出発時に、スマホが故障してSIMを読まなくなり、Googleマップが使えないという飛車角落ちになったのもあった。ルートに無駄が出たし、道に迷って立ち往生したり、大阪南港に1時間半ハマったりもしたので、ベストコンディションではないが。ともかく、足回りの弱い原チャ二輪で、険道酷道もある中で、強風や豪雨や濃霧にも遭いながら移動するには、東京ー広島間 850kmを2泊3日が限界だ。
そして、1日あたり280km移動を可能にしてくれるのは、路面整備が行き届き、道幅も広くて生活渋滞に強い、郊外幹線道路が不可欠だった。地方で言えば、国道バイパスということになる。
イチコク(国道1号)、150号、23号、475号、25号、2号…。これら無くして、我が行程は成立せずだったと思う。時間の制約を考えて、移動距離を「稼いだ」のはこの道たちのお陰だ。
バイパス。それは現代ニーズに即した計画道路
話が一旦脱線するが、まち・コミュニティ・賑わいは、計画して「作れる」ものなのか?という問いを、最近は個人的に念頭に置いている。そして、私が信頼する多くの先達は、計画的に作れるものではないが「耕して育てる」「仕込んで醸す」ようなものだ、と仰ってるように感じる。
さて、バイパスというのにも、いくつか種類があると思う。そもそもが、バイパスという存在が何者で、日本でどんな歴史があるか、意外に知られていない。おさらいしよう。
ここで詳しく触れると、また長大化するので、Wikipediaのサイトを案内するに留める。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%91%E3%82%B9%E9%81%93%E8%B7%AF
簡単に私なりの解釈はこう。もともと「道」というものは、江戸時代には整備された街道をベースにしていて、もう江戸の昔から道も街道沿いの宿場町も完成したところを、舗装してモータリゼーション黎明期を乗り切った。黎明期は自動車は、大企業の重役の車やバスやトラックなど公共性と商業性の高いものであり、庶民はあくまで乗合いか徒歩自転車だった。そのレベルは吸収できた。
ところが、庶民に手の出る大衆車が出回り、自動車のボリュームが飛躍的に伸びると、もともとが徒歩や馬や自転車にこそ最適化した、旧街道から続く生活密着道路で吸収できなくなった。そこで、もともと山林だったようなところを開拓して、ニュータウンならぬニューロードとして車最適なバイパスを作った。昭和30年代終わりからそんな動きが出てきたのではないかと想像している。
第一期バイパス(昭和の30〜50年代に整備)は、まだ生活圏に組み込まれる余地を持っていた。それが故に、渋滞が起きるようになる。歩道があり、イオンとか広域チェーン店が連なり、その周辺に宅地開発されるようになって、郊外が街中化したのだ。いつの間にか大規模チェーン店への出入りの渋滞や通勤渋滞が起き始めて、車移動に最適化させたはずのバイパスが、旧道化していった。
そこで第二期バイパス整備が行われ、もはや姿形は高速道路のようになった。場所によっては原チャを受け付けぬ自動車専用道路になり、山林や郊外に高架を通して防音壁で囲み、インターチェンジでアクセスする、真の車最適化バイパスが登場した。それが平成のことだった、と思う。
へドリアン女王と、黒い太陽神
私は今回、東京から広島へ原チャで旅をし、時に第一期バイパスを走行し、時に第二期バイパスを走行しながら感じた。戦隊ヒーロー番組「太陽戦隊サンバルカン」の悪の組織に喩えて。
第一期バイパスは、へドリアン女王だ。顔が見え、表情豊かで、ある意味でハートフルだ。彼女はそこを通る人間に、こう訴えてくる。
「どうだ?旧道に比べて広い道幅に多い車線、道端にはイオンや吉野家やジーンズメイトがあるぞ?便利だろう!旧道なんか捨てて、ここを走るが良い、ハッハッハッハ!」
一方、第二期バイパスは、黒い太陽神だ。もはや顔もなく、その表情は窺い知れない。冷徹怜悧な無表情で黒一色。こう声だけが聞こえる。
「人も自転車も店も邪魔だろう?全て抹殺してやった。さっさと走り抜けろ。移動という目的に、賑わいも暮らしも邪魔でしかない!」
没個性・超効率的な第二期バイパスは、高速道路に近い装いで、「ただただ早く通り抜ける」ことを要求してくるのだ。
お化けも出ぬ、新新トンネル
皆さんは、お決まりの怪談パターンに、夜のトンネルのお化けの話が多いのはご存知だろう。トンネルにも、バイパスと似た構図が見られる。
手堀りで狭い旧トンネル。機械堀りだが片道1車線な新トンネル。そして、片道二車線でトンネル前後が高架なことも多い新新トンネル。
もはや新新トンネルになると、お化けも出なさそうな雰囲気だ。
という訳で、モータリゼーションの中で、車移動の効率化を追求する流れが、道をただの車の通り道にして暮らしと切り離すという方向に倒れてきた、その象徴がバイパスの変遷なんだ、と思った次第。