意図的と意図せざる、計画的と偶発的
思うようにならず、生きてくのもままならぬと思い悩んでいるところから、徐々に「これでいいのだ」「なるようになっている」と受け入れつつあるこの頃。
恩義深い先輩にお声がけいただいて、徳島の山間で行われた、企業のミドル・シニアエイジ向け合宿研修に参加させて頂いた。
そこでの気づきを通して考えたことを、徒然なるままに。
善悪、べきべからずでは意図は成就しない
全くの天然、一切の人知の企画無いところに、人の賑わいや活力の高まりは、多分生まれない。
だから、賑わいなり活力なりを期して、人は企画して計画を立てエネルギーを注ぐ。
なのに、願い通り賑わいや活性を高めることもあれば、願いと裏腹に全く高まらないこともある。
なぜなのだろう。それを、私は個人的にずっと探求している。
目指すあり様に向かって、足しになるものを入れて、足しにもならんものは排除したい。そう思うコスパ・タイパ追求は、得てして企画側と参画側に溝を生み、企画側が参画側に与える対価要求の圧が高まり、参画のハードルの高まり・間口の狭まり(簡単に言えば、参画側には寄り付きにくさが強まり)、企画側は独善的孤立のポジションに行きがち。
多様性と包摂。言うは易く、行うは難し。
1人の人に与えられた時間は限られ、打ち出の小槌無き常人には投下するリソースも無尽蔵とはならない。時間やお金のリソースが詰まる前に、自走回転の状況には持っていかねば、との焦りは自ずと生じる。
だが、企画側が焦りを場に放射すると、参画しにくさ・関わりにくさが増して、孤立や白けにも繋がりかねない。
このバランス…
メディチ・エフェクトの偉大さ
近世フィレンツェでメディチ家が、多才な人を保養して、ルネサンスの土壌を作った「メディチ・エフェクト」。イノベーションや創造の起きる「アイデアの交差点」の醸成法として注目される。
アイデアや創造そのものを、予見的・計画的に産むのは難しい。しかし、アイデアや創造が起こりやすい場の設計・設営・運営は可能なのでは無いか?
おそらく、Zappos創業者の故トニー・シェイ氏が目指してラスベガス郊外に作ったダウンタウンプロジェクトも、その考え方が根底にあるのでは無いか。
早急に結果を求める気分を出すと、望む結果が逃げていく罠
これは、引き寄せの法則がうまくいかないという、引き寄せ難民にも言えることなのかもしれない。
引き寄せるのは、その人の波動(雰囲気、気分)に似合ったものであって、願望そのものじゃ無い的な?
額にしわ寄せて、血眼で願望追求してると、「このままじゃダメだ」「なんとしても願望叶えないと意味がない」という出してる雰囲気(=切迫感)に相応しい出来事の方を引き寄せるという。