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映画『マイ・インターン』を観る〜経験と知恵って何だろう

昨日まで参加してた、ミドル・シニア向けキャリア研修で、一つの映画を紹介された。今日はそれを観て、読後感想をつらつら書きたい。


映画『マイ・インターン』

その映画とは、ロバート・デ・ニーロ & アン・ハサウェイ主演『マイ・インターン』だ。

公開は2015年らしいので、もう10年近く前の映画、ということになる。

企業を勤め上げ、定年退職後は妻に先立たれ、悠々自適ぐらししつつも満たされない70歳を超えた男性(デニーロ)が、新進気鋭のスタートアップベンチャーの社会貢献PR施策でインターンとなり、ベンチャーの女性社長(アン・ハサウェイ)の直属になる。最初は、お飾りとして置いとけばいいと放置されるが、多忙な職場の現場の中で徐々に頼れる知恵者として溶け込み、いつしか社長のメンター的な役割を担うようになる、というもの。

まだ、「メンター」という用語が普及していなかった時期に、円熟した年長の知恵者なメンターが、有能でキレ味鋭いが人心掌握や組織統御の経験に乏しい経営者をサポートする、というスタイルを見える化した点でも、観る価値のある一作だった。色んな世代の方に、おすすめできる一作だ。

「年齢を重ねると知恵者になる」ではない

基本的に、オーソドックスに感動しながら観た。

私自身のビジネス体験から思い当たる節が大いにあるシーンも多かった。例えば、現代の未成熟な組織(いわゆるベンチャーとかスタートアップと呼ばれるもの)の現場で「アルアル」な、「スピード命・アジリティ万歳」により疎かにされる側面を浮き彫りにしている場面など、共感しながら観られる部分が多かった。

その上で、「年長者は、経験豊富な知恵者」という定式も、また違うということを垣間見させてくれるフェアさが好感をもてた。

優れた洞察力を持つデニーロ演じるインターンを、徐々に「見透かされ、生身の自分が裸にされる」不安を覚えたハサウェイ演じる社長がテンパって異動させるシーンが出てくる。それまで毎日、社長宅に迎えにくる車の運転手がデニーロだったが、翌朝は別の高齢インターン女性に変わる。その高齢インターンは、車の運転の酷さと共に、他の車の運転手に悪態をつき人格的幼稚さも露呈するのだ。

「年寄りは知恵者だから活用すべきだ」などという、浅薄なステレオタイプではない描き方は、大変フェアであり、だからこそ考えるきっかけとして有益な映画だと思った。別に人は、年齢を重ねたら円熟するってものでもないし、知恵者になる訳でもない。どんな年月を重ね、どんな経験を知恵にしてきたか、で違いが出るんだと。

「社会で活躍する年寄り」の必須要素

若年者に無い知恵を持つものとして社会で活躍するために、高齢者に必要な要素が何なのか、ということも考えさせてもらえた。

私がこの映画を観て考えた、必須要素を挙げてみる。

・主役は自分じゃないこと(脇役の客人であること)の自覚
・主役(若い人)への共感とリスペクト
・主役(若い人)が多忙・経験不足で見えないことに、
 気づきサポートができるだけの「心の余裕 & 知恵」

主役は若い人、の認識・自覚

多くの高齢者が、ここで脱落することが多い気がする。

社会の担い手の主役は、多くの活動体において、やっぱり若い人だ。身体的能力・認知的能力でも、高齢者が主役で居続けて成立する現場は多くない。

加えて、長い年月を働き続けられる可能性は、どうしても若い人よりグッと小さくなる。人は今世に永遠に生きられず、カウントダウンの数字は年寄りは短い。

老害を発揮する人の多くは、主役である若い人への共感・リスペクトが欠落し、若い人に「主役の資格がない」とダメ出ししてしゃしゃり出る。かといって本人が主役を代われるだけの能力も意思も無いケースがほとんどだ。

主役の若い人への、共感とリスペクト

前述の通り、大半の老害は、これの欠落が主因だと思われる。

そういう老害は、自分の若い頃(自分が、今の若い人と同年代だった頃)を持ち出し、環境が違う中で当時と今で見えるもの・感じるものが大きく違う点に思いも至らず、一方的にダメ出しする態度につながる。

それは、時代の変化・環境の変化に対する鈍感さと共に、過去の記憶が相当美化された断片であるとことへの無自覚も作用している。どちらも、共感力・想像力の欠如の産物である。

老齢者や障害者の体感を得るための装置は、すでに開発されている。一方で、今の若い人たちが、日頃何を感じ、どう物事を見ているかを体感するシミュレーターは無い。各人の学習と想像に任されているのが実態だ。だから、環境に関する知識を増やし、若い人を取り巻いているトレンドを知り、若い人が実際どう感じ見ているかヒアリングしてないと、なかなか的を得てこない。

また、記憶の美化作用、断片化については、ドラえもんのタイムマシーンができたら、老害人間を乗せて過去の自分を見に行くツアーでもして体感してもらえるだろう。それまでは、各自が修養し自覚を深める他、手立てはない。

多忙・経験不足のブラインドスポットへの気づきサポート

主役は忙しい。どうしても、追い立てるように怒涛の如く迫ってくる生活・仕事の対応に追われてしまう。加えて、人生は未経験の明日を積み重ねる旅路なので、経験積んで2周目で若い世代やってますとはならない。

この2つの要素から、やっぱり若い人には、経験者が見えるものも見えない「ブラインドスポット」は出てきやすい。自分が痛い目にあって、経験して気づくことが大半だが、中には知恵者に先回りして気づきを促して欲しいおおごともある。

そんな、若い人には見えない・ささいに感じるけど、大ダメージになりそうなブラインドスポットに、痛い目に遭う前におおごとだと気づかせてくれるメンターはありがたい。

これができるためには、メンターがテンパってたら無理なので、心の余裕がないとダメ。加えて、若輩には見えなくても自分には見えるという、経験の蓄積に基づいた知恵が無いとダメだろう。

高齢者といっても、皆が皆、心にゆとりと知恵があって、知恵不足の人に愛のある助けを出せる人ばかりではない。いや、もっとはっきりいえば、高齢者の中でも一部に過ぎない、と私は思う。

「メンターン」というあり方

若年者への共感と敬意をもち、かつゆとりと愛と知恵をもった最強シニア。これについては、チップ・コンリー氏の「モダン・エルダー」でも描かれているものだと思う。

コンリー氏は、若い人が主役張る現場で、重宝される知恵者としてミドル・シニアが活躍する姿を指して、「メンターン」という語を提示している。これは、「メンター」+「インターン」の二要素を掛け合わせたものだ。

メンターとしての知恵・ゆとりと、インターンとしての謙虚さ・リスペクトが共に大切だ、ということを、メンターンも表しているように思う。

自分自身が、ミドルエイジからシニアエイジへと進んでいく立場なので、今回の映画や「モダンエルダー」の示していることは、大いに示唆があった。

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