変わらないで過ごしていたけれど変わってしまった出来事
緊急事態宣言が解除されて少しずつ新しい日常が始まり自分の中の生活も戻ってきました
あまり人がいない時間に外食いったり、宣言前に切りたかった髪を切ったりする予定をたてて動きだして行こうかなと思っている今日この頃
実は緊急事態宣言が始まってから、今までほとんどしてこなかったのに今では1日の終わりに毎日必ずため息がでるようになってしまったのです
なんでため息がでるのか?
「ため息をつくと幸せが逃げる」なんて言うことばもあるようだ
だけど自分の感覚的に幸せが逃げているようには思えない!
毎日毎日その一日に満足していないのか?とかこのまま在宅で仕事をしていることに、何かしらの見えない焦りのようなものを感じてしまっているのか
流石に毎日ため息が続いたので考えてみてはいるのですが中々ストンと落ちる答えがでてこない…
今までため息が出ていなかった日常はどうだったのか
じゃあ、逆にため息が出ていなかった宣言前の日常はどうだったかなと思う
電車で長い時間通勤していたし、今よりも少なからず人にはあっていた
けれど自分の感覚では長い通勤時間が無くなった分、朝が有意義になったと思うし
元々人と話すのは得意ではなかったので、会う人が減ったのも良い方向に動いていてむしろため息なんかだすよりもプラスしかないじゃん!と思うぐらいだった
ため息についてぐぐってみた!
もう、ここはため息がでる条件を少し調べてみた
「ため息は、バランスが崩れた自律神経の働きを回復させようとする、体の作用。いわば、機能回復のためのリカバリーショットといえます」
体は何かストレスを感知したから緊張し、ため息でそれをほぐそうとした
ため息はストレスのサイン。
機能回復とはいえ、やっぱりストレスのサインなんですね…
一体何が原因でため息が出てしまうのだろう
ため息が出なかったある日のできごと
ここ最近ため息がでなかったことがあったのでした
最近初めてやったオンライン飲み会をやった日のことでした
元々はビール関連のオンラインイベントに参加してたのですがイベント後にそのままアフタートークというかたちで飲み会になりました
初対面の人たちとのZoomでの飲み会だったためかなり緊張していました
元々リアルの飲み会でも自分で会話に割って入って話をするのが得意ではなかった
この1対多で行われるオンラインでの会話劇になかなか慣れないでいました
時間が経過していくとともに、会話に割って入ることはできなかったけれど、リアルであった時のような喋らないことに対しての罪悪感がなくなってきて、少しずつ楽しめるようになってきました
おわってみると飲み会で話した内容は覚えていないぐらいに酔っていたのと
楽しかったような感じで心を満たしていくような充実感があったような気がする
(酔っているのであんまり覚えていないのが正直な所です。笑)
良かったなと思った所はリアルの飲み会だと対面の人の顔はちゃんと見えるけれど
隣の人の顔はあまりちゃんと見えなかったりするのがオンラインの飲み会だと、全員等しく同じように顔が見えるようになったのが逆によかったのかな
なぜ、ため息がでなかったか
何でオンライン飲み会をした日はため息がでなかったのかなと思うと
相手に見られることで緊張したことが良かったのかなと思いました
緊急事態宣言中に過ごしていく中で会う人はほんとうに限られた人になってしまったし
他の人に会わなくなったことで宣言前に感じていたようなストレスが、なくなったことが逆にストレスになってしまったのかなと
通勤中の電車内で見られる、駅までの徒歩で人に見られるなど
以外と通勤時間が長いことから解放されて良かったのかもしれないけれど、人から見られることがなくなったことは良くなかったのかもしれない
今までは緊急事態宣言になったことでプラスになったことや、新しい生活でプラスになるようなこの先で得をすることってなんだろう?をよく考えていたけれど
実は今までの生活はどういう風な時にストレスを感じたりとか、どういう部分が楽しかったを考える良いきっかけになったなというお話。
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