【雑談】きみに神様はいるか
昨晩は飲みすぎたから何時もより少しばかり早く起きてしまって、現在朝の五時。肌を刺すような寒さに身震いしながらそっとカーテンを空けると、月が雲間に見え隠れし、街灯は淡々と誰も居ない街を照らしていた。
冬は好きな方だ。
町中に溢れかえったあまりにも早すぎるクリスマスの飾り、流行りの曲ばかりの歌番組、そして自販機の少し甘ったるい、ホットコーヒー。
あの時楽しかったなぁ、なんて思い出を振り返るとそこにつきものなのがやっぱり音楽。
あるあるかもしれないけれど、景色を見るとそれと同時に過去にそこを通った時に聴いていた曲やら思い出が蘇る。 この前単身大阪旅行に行った時は、大阪駅の船のモチーフの広場の前でEveの「アウトサイダー」が突然脳内を巡って焦ったけれど、そういえば前にここでこれを聴いていたっけなんて。そこでした友人との会話まで思い出せる。
もうその時間は戻っては来ないことを少し悲しみ、忘れたくない思い出を思い出せたことに少し微笑んで。
今回は音楽に関する雑談をのんびりと。
イヤホンを刺して音楽を大音量で聴いていると、現実の中で非日常的世界観を味わえる気がして好きだ。
ここ数年、私の生活には音楽しかない。おはようからおやすみまで聴ける時はずっと聴いている気がする。
大体聴くのはお気に入りのアーティストのアルバムとか歌い手さんが投稿したカヴァーがメインだけれども、とにかく沢山。
一年前くらいまでは気に入ったらそれしか聴かないとか、範囲が異常に狭かったけれども、最近様々な曲を聴くようになった。聴かず嫌いしていたアーティストは反省して聴いてみたら割と好みで、ひょっこり1人でライブに行ってみたり。気づいたら結構好きかも、なんて。
音楽に対する偏見がなくなったら益々音楽に浸かるようになり、幸せな時間が増えた。アーティストがそのたぐいまれなる才能と、惜しみのない努力という名の糸で紡いだ楽曲たちはそのどれもが輝いてみえた。
ひょっこりサーキット型のフェスで入った、名前も知らなかったバンドの公演にて、汗だくのボーカルの男の子の言葉から。
「おまえらにはそれぞれの神様がいて、ここに来たのはついでかもしれない。でも、ここで過ごして、ライブ見て、叫んで、モッシュして、楽しかったなぁ、!、、そう思ってくれたら本当に嬉しい、、!」
「それぞれの神様」
その言葉にひとり、ズガンと稲妻が走った。
そのアーティストの抱く価値観と私のそれとはぴったりと合わさっていた。わかる、本当にそれ、わかる。きっと彼の心にも神様が居るのだろう。彼の言葉は数ヶ月ほど経ったいまも思い出す度にビビビ、とくる。
ここでこれを読んで下さっている全てのひとに問う。
あなたの心に神様はいますか?
別に変な宗教勧誘でもないし押しつけをするわけでもない。ただ、神様が心にいる人はとてつもなく強くなれると思うのだ。わたしがここで言っている神様、というのは別に人型をしていなくてもいいと思っている。
「自分がこれだけは譲れない。他人に干渉することも、されることもなく好きでしょうがなくて、守りたいと思う心の拠り所」
があるかないか、と言っている。多分これを読んでいる大体の人は好きなアーティストの方がパッと浮かんだ人が多いのではないか。
心の支えとなり癒しとなり、敬愛してやまない神様。
それはきっと貴方を形作り、鮮やかに彩り輝かせ、辛い時にはそっと寄り添い、思い出と共に優しい気持ちにさせてくれる心の拠り所。
私はその、人々が敬愛してやまない神様、となりうるような才能と優しさと、音楽に対する純粋な気持ちを持ち合わせたアーティストがいつか大輪の華を咲かせる為に土壌を整え、水を撒き、栄養を与えるような、そんな仕事をしたいと思っている。
最近バンドや音楽ユニットの解散の文字をネットニュースでよく目にする。まあ所謂方向性の違いというのも理由だろうけれども、宣伝の少なさも解散の理由の一部に入っているのではないか。
現在、メジャーデビュー出来るのはほんのひと握り。どんなに素晴らしい曲を作っても人々が注目しなければ話題にはならないし、記事だって書かれることはない。きっともっと上に行けるはずの、あまりにも魅力的な才能に充ちた人間が惜しくも音楽への道を自ら封鎖してしまうのは本当に残念で悔しい。
わたしはその素晴らしいアーティストをもっとたくさんの人達に広めたい。拠り所がなくて苦しんでいる人達の目の届くところまで、文字の力で引っ張って持っていきたい。
彼等を愛してやまない人の思い出を、そしてこれからを守りたい。
そして、より鮮やかに美しく大舞台で輝くさまを見てみたい。
音楽の神様に愛された島の、1番大きくて立派な木の横にひっそりと咲いた美しい花。きっとそれを見つけた女神は優しく微笑み、その名を知りたがるだろう。