映画「バクダッド・カフェ」を観る
大晦日の夜、帰省中の娘と元旦に観る映画の相談をしていた。
上映作品の一覧を順にスクロールしていくと、青空の中にそびえる鮮やかなイエローの貯水槽が目に飛び込んできた。
羽根のついた帽子にスカート姿の女性が、脚立にまたがり柄の長いモップでその側面を磨いている。
このシーンに目が釘付けになった。
脚立の段には途中で脱いだヒールが片一方づつ置かれている。
これだけで充分だと思えるほど、魅力的なカットだった。
1ミリの迷いもなくこれを観ると決めた。
この作品は、公開された当初から知っていた。
タイトルの「バクダッド・カフェ」も「コーリング・ユー」のテーマ曲も。
この曲はヒットしたせいもあり、ワンフレーズ聞けばわかるほど耳馴染みだった。
日本公開は1989年、もう35年が過ぎていた。
あの頃、私はどこにいたのだろうと考えた。
どこで、何をしていたのか…。
タイトルと曲を今も覚えているのはなぜだろう。
あの頃の忘れものが、不意に目の前に出てきたような気もした。
ようやく観られる機会が巡ってきた。
何時からか、元旦は映画を観に行くようになった。
映画館にいると、どこか安堵している自分がいる。
ひとりコーヒーを飲みながら、上映時間までぼんやり外を眺めている人。
スマホ片手に目を閉じて、イヤホンから流れるメロディーに身を委ねている人。
壁に貼ってある新聞や雑誌の切り抜きを熱心に見入る人。
ロビーにも併設されたカフェにも、それなりに人はいる。
ここでは自分の時間を、それぞれが静かに過ごしている。
世間はお正月モードでも、ここには日常の時間がそのまま流れている。
どこまでも広い空と砂漠を走るハイウェイがスクリーンに映し出された。
アメリカ西部の乾いた風と光の中、あの貯水槽と寂れたモーテルがあらわれた。
ある日、バクダッド・カフェにやって来たドイツ人の奇妙な訪問者、ジャスミンは一体何者なのか?
彼女は夫の運転する車で二人ラスベガスに向かっていた。
その途中で喧嘩になり、彼女は自ら砂漠に降り立つ。
彼女が持って下りたスーツケースは、おそらく夫のモノだろう。
偶然、たどり着いたモーテルで中を開け驚く。
そこには、男物の衣装とマジックの小道具。
おそらく夫はマジシャンで、彼女はアシスタントだったのだろうか?
彼女はモーテルの部屋で一人、マジックの練習を始めた。
やがてそのマジックで、バクダッド・カフェの人たちを巻き込んでいく。
魅力的な舞台と、個性的な登場人物、紛れもなく名作だと思った。
ジャスミンとオーナーのブレンダとの友情物語でありながら、彼女たちが自分の人生を生きていく物語だとも思う。
何よりも素晴らしいのは映像、取り分け色彩のバランスだった。
四角いスクリーンはただの入り口で、その向こうは砂漠が、空がどこまでも広がっていた。