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春に向かって歩く book review
『ハルと歩いた』
西田俊也・著
徳間書店
犬の飼主を探す物語だ。
最初、陽太はその犬を黒いブタだと思った。卒業式の帰り道、偶然出会ったホームレスから、一見ブタのような犬の飼主を探して欲しいと頼まれた。フレンチブルドック。迷い犬らしい。
陽太は一年前に東京から、亡き母の故郷、奈良に引っ越してきた。小学校の卒業式当日も、式が終ればひとり帰途につき、親しく言葉を交わす友達もいなければ、行きたいところもない。気になる女の子はいたけれど、その日はなぜか休みで、なすすべもない。
東京にいた時から、友達が多いほうではなかった。口数が少なく、引っこみがちで、気の弱い性格だった。奈良の小学校は母の出身校だったけれど、その母は陽太が二歳になる前に病気で亡くなっている。母のことは記憶になく、よく知らない。
奈良は母の故郷だというだけで、古ぼけた田舎町だ。父のナオは、訳あって勤めていた会社を辞め、空き家になっていた亡き妻の実家で父子二人新しい生活を始めた。しかし思う仕事には就けず、一年が過ぎてもアルバイト生活のままで、陽太に限らずナオも、ここでの生活に馴染めずにいる。
ナオの理解もあって、当面、犬は自宅で面倒を見ることになった。そして翌日から春休みが始まり、犬の飼主探しも始まった。
この町は、まだ見知らぬところだらけだ。好き勝手に歩いたら陽太も迷子になってしまう。リュックサックには、地図、お金、携帯。水のペットボトルは犬のためでもある。
犬と歩くと、通り過ぎる人たちが笑顔になるから不思議だ。見知らぬ人から挨拶されたり、話しかけられたりもする。犬を飼うのは初めてで、陽太には、何もかもが新鮮だった。
歩いた場所は地図にマーカーをぬって印をつけた。この印が埋まるころには、犬の飼主が見つかるかもしれない。
天気予報では桜の開花予想が始まった。日に日に日差しも風もあたたかくなる。季節は進行し、春はもうそこに来ているのだ。一緒に歩く時間が増えてくる。犬は陽太の言うことをよく聞くようになった。
犬を連れていると、何処で誰とあっても不思議じゃない。気になっていたクラスの川嶋さんと出会い、川嶋さんのお父さんが、陽太の母と同級生だったことを知る。ここは母が暮らしていた町なのだ。
母は犬を飼っていた。母の部屋には本が沢山あった。読んだ本には時々、メモがはさまっていたりした。陽太の目は母に似ているらしい。陽太も本が好きだった。
犬の歩く速度で、時に立ち止まり、また歩く。何かを見て、話しかける。犬は返事をしないけれど、伝わっていると感じるときがある。言葉がわからなくても、伝わることはあるのだ。いつの間にか川嶋さんも一緒に歩いている。犬が好きなのだ。陽太に興味があるわけじゃないと、自分に言い聞かせながらも、うれしい。春に向かう季節を、ともに歩く。
作中、母の書いた作文が出てくる。飼い犬リップのことが書かれている。同じ記憶が、私にもあった。物語は人のうちにある、何時かの記憶を呼び起こし、つながるものだ。私は、かつていつもそばにいた猫を思い出して泣いた。
もとになった作文はもっとよかった。物語はここから生まれたのか、それともここに行き着いたのか……。これも読んで欲しい。
同人誌『季節風』掲載