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空は果てしなく、言葉にはできなくても book review
『四人の兵士』
ユベール・マンガレリ・作
田久保麻理・訳
白水社
この物語には四人の兵士が登場する。彼ら、ロシア赤軍の兵士たちは、ルーマニア戦線で戦い、長い行軍の後、夏には総退却をはじめていた。敗走の途中、四人は偶然出会う。リーダー格のパヴェル、力持ちの巨漢キャビン、物静かでやさしいシフラ、そして、天涯孤独のベニヤ。彼は、この物語の語り手だ。
初雪がちらつく十月、指揮官は兵士たちに前線を離脱し森に退避すると告げた。小屋を作って春を待てと。途中、彼らは何度もポーランド兵に遭遇し、砲弾を避けて走る。けれど、そのことは詳しくは語られない。ベニヤが語るのは、森での小屋掛け作業や、極寒を生き延びたその小屋が、いかにすばらしい創意に満ちていたかということだ。雪かきと、ストーブの薪集めで日々を過ごし、夜はランプの灯でタバコを賭けサイコロを振る。仲間の多くは、長く厳しい冬を越せなかった。
春になると、中隊は森から出て草原に移動した。四人は野営地の近くで美しい沼を見つける。その後、多くの時間を彼らはここで過ごす。そこは彼らしか知らない場所だ。
パヴェルとキャビンは沼で水浴びをし、シフラは居眠りをしている。別の日は毛布を洗濯し、また別の日は魚を捕らえ食する。なにをするわけでもなくタバコを燻らせ、ただ座っていることもある。
彼らの日々は一見、穏やかだ。野営地と沼の往復で過ぎてゆくようにも思える。けれど、彼らの生は、死と隣り合わせている。ここで過ごせる日々があとどれくらい残っているのか。戦争はいつ終るのか。作戦など教えられたこともないと言う。先の見えない恐怖、森で過ごした冬の記憶がパヴェルの夢に毎夜あらわれる。シフラに喉を切られるという恐ろしい夢に。そして悪い報せがくる。ここはもう、長くない。中隊の誰もが、出発を知っている。けれど、どこへ行くかは誰も知らない。
その頃、四人のテントに志願兵の少年が一人加わる。面倒をみるようにと、伍長の命令だった。まだ男の子のような、エヴドキン少年は、一人になるとノートに何か書き付けていた。母親への手紙かと訊けば『ぼくが見たこと』を書いているという。
残された時間は少ない。パヴェルはエヴドキン少年に、自分たち四人のこと書いて欲しいと託す。パヴェルだけではない。これは四人の願いでもある。彼らは字が書けなかったし、ベニヤが知っていたのは、ごく限られた文字だけだった。
部隊は野原をかきわけ暗闇を進み始める。四人の兵士も、エヴドキン少年も一緒に。
この物語はベニヤが書いたものだ。エヴドキン少年が書いたものではない。ベニヤには書く理由があったし、書かなければならなかった。『空は果てしなく、言葉にできない』と彼は言う。それでも空と向きあう彼の姿が見えた。そこに浮かぶ人達の顔、浮かんでは消え、また浮かんでくる記憶は、四人で過ごした日々の他にない。大切なことは、彼らがいたこと。それだけ。
人の記憶は必ずしも真実ではない。もっと曖昧なものだと思う。時間とともに薄れ、変化し、記憶そのものが望む姿に変わってしまうこともある。そしてそのほとんどは、いつしか消えてしまうだろう。誰かが存在したことも、いつか消える。
今、私の記憶に四人の兵士たちがいる。記憶は消えても、物語は残る。書くことの意味を、理由を、再確認した。
同人誌『季節風』掲載