映画「BLUE NOTE」を観る
JAZZを初めて聴いたのは、何時だっただろう?
いつの間にか、聴くようになった気がする。
父の影響で、子どもの頃から音楽はいつもすぐそばにあった。
彼は音楽が大好きで、休日はレコードを一日中かけていた。
独り部屋にこもって聴くのではなく、リビングのステレオで聴いていた。
家中どこにいても聞こえてくる音量だったけれど、うるさいと感じたことはなかった。
私には日常だった。
たまに友だちが来ると、驚いていたのも覚えている。
「誰がかけてるの?」と、必ず聞かれた。
楽曲はクラッシックが多かった。
ギターやトランペットがメインの曲も覚えている。
たまに楽器の起源や音楽について話したりしたけれど、当時の私にはあまり意味がわからなかった。
私はただ、ふんふんと頷いていただけだった。
父の話を聞く人が他にいなかったので、多分それで良かったのだと思う。
当時、彼は自宅にあったエレクトーンやギターも上手く弾きこなし、会社の人を自宅に呼んできて、食事やお酒の合間に弾いていたのも覚えている。
祖母が父の誕生日だったかに、クラッシックレコードのセットを買ってあげたのも覚えている。
私には何も買ってくれなかったので、そう口にすると、音楽は誰でも聞けるからと腑に堕ちない返事が返ってきた。
晩年、父が亡くなった後、私は彼の部屋に初めて入った。
室内は防音になっていて、キーボードが立てかけてあった。
ボランティアで演奏することがあると話していたのを思い出した。
その時も私は、ふんふんと聞いていただけだったように思う。
もう随分前のことだ。
映画を観ながら父との接点に想いを巡らせた。
私の記憶はどこにもつながらなかった。
初めてJAZZを聴いたのは、何時なんだろう?
手もとにあるCDはJAZZが圧倒的に多いと思っていた。
数えてみると、意外にクラッシックも多いことに驚く。
BLUE NOTEレーベルはたった3枚だけ。
セッションは『Somethin' Else』1枚しかなかった。
NYで暮らしていた頃、ヴィレッジ・ヴァンガードは数回しか行かなかった。
当時、私が通ったクラブは、Fat Tuesday’s だった。
私は3番街沿に住んでいたので、Fat Tuesday’sまでは徒歩3分ほどの距離だった。
いつもひとりで、一番前、ピアノの真横くらいの位置で彼らの演奏を聴いていた。
ハンク・ジョーンズのピアノは何度も聴いた。
彼と言葉を交わしたこともあった。
穏やかで、笑顔が優しいおじさんだった。
マッコイ・タイナーもここで聴いた。
私はすぐ前で、彼の指の動きばかり見ていた。
まるで意思があるように、それぞれの指が動いていた。
ただただ、この人はすごいと、目が離せなかったのを覚えている。
スクリーンに映し出される街並みに、あの頃の景色を探した。
Fat Tuesday’s が今はもうないことを、さっき知ったばかりだ。