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氷がとけていく

『氷石』
久保田香里・作
飯野和好・画
くもん出版 2008

 物語がラストシーンにさしかかった時、私は自分でも顔が綻んでくるのがわかった。もしこれが舞台なら、客席で立ち上がって拍手していたはずだ。著者の作品に再会できた喜びもあったと思う。でも、いい作品に出会えて本当に嬉しかった。

 舞台は天平九年の平城京。歴史ファンタジーや冒険物語を想像する人もいるかもしれないが、これは日常を描いた物語だ。時代は違っても人の思いに今も変わりはない。

 露台が並ぶ市の往来は、人であふれている。穀物屋と酒屋の隙間では十四歳の少年、千広が粗末なむしろを広げ小石を売っている。この夏、都では疫病が猛威を振るっていた。疫病と聞くと、人はみな神仏にたよる。それを見聞きし、千広は川原で拾った小石を病よけの護符として売ることを思いついた。大神の御山のありがたい護符だと、空言を並べて。石は順調に売れる。愉快だった。

 千広の父は四年前、学問のため遣唐使船に乗った。一年で帰るはずの父は帰らない。母と千広よりも、学問を選んで自ら唐にとどまったのだ。父を待つ気はない。疫病で母を亡くした今、千広は独りで生きている。兄弟のように仲が良かった、親切な従兄の八尋にも心を閉ざし、母を奪った疫病を逆手にとって稼ぎ、父を恨み、心を氷らせたままで。

 人はどうせ死ぬ。その度に悲しい思いをする。望みなんて、もつだけ無駄だと千広は言う。がんばって字を覚えても、褒めてくれるはずの父は帰らない。懸命に薬を探しても、母ならず八尋までもが疫病で死んでしまう。運命には逆らえない。必死になっても、どうせむくわれない。

 そう思いながらも、千広の言動は時として矛盾する。都では子を亡くし、親を亡くし、道端にしゃがみ込む者も多い。亡骸なんて珍しくもない。なのに、痩せて汚れた子どもに、千広の足は止まる。なんの慰めにもならないと知りながら銭を握らせ、見捨てる他ないのだと、後ろめたい思いにかられたりする。

 ある日、千広の広げた石に見入る少女、宿奈に出会う。にせ護符と知りながらも、宿奈は石を欲しがる。つるつるしていて、まるで水晶みたいだからと。そして水晶は『氷石』とも言うのだと。宿奈の懐に、大切しまわれた小石は、私には凍りついた千広の心のような気がした。長くは続かない。今だけのひとときのしあわせだ。そう思いながらも、千広の中の氷は、その時すでに溶け始めていたのではないだろか。

 その後、市での縄張り争いで大けがを負った千広は、施薬院にかつぎこまれる。そこで過ごす日々とふれあいも、また千広の氷を溶かしてゆく。宿奈の存在だけではない。施薬院の雑務をこなす法師、伊真さんも、そして、一生懸命に病人の世話をする男の子、安都の存在も。
「たとえむくわれずとも、大切なもののためになら、だれでも懸命になるものではないか。生きておれば、大事に思うものがなくなることはない。うしなったとしてもまた、かならず得られる。……」
 千広の内にある思いを、言葉にしたのは伊真さんだと思う。この言葉の奥に、また彼の思いもあるのだろう。書かれていることだけが、物語のすべてではない。本を閉じても、物語は開いている。千広の見上げた空が、私にも見えた。共に煮
えたぎるような都の夏を過ごしたのだ。今、次の季節へ向かう彼らを、見送っているような気がする。

同人誌『季節風』掲載

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