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ゴールドラッシュの後で book review
『アラスカの小さな家族』
カークパトリック・ヒル・著
田中奈津子・訳
講談社
ゴールドラッシュ。この言葉を見聞きするたび、ニール・ヤングの曲のメロディーと、ひとつのシーンが浮かんでくる。ゆっくり走る列車の車窓から、遠ざかる町を見ている男の姿…。何の映像だったのか、どこか哀愁が漂う、黄ばんだようなモノトーンの景色だった。開けた窓から入る生温い風、列車の音さえも蘇るほど、記憶に鮮明だ。
ゴールドラッシュが終わりを告げたアラスカが舞台の物語だ。大きな金鉱は掘りつくされ、押し寄せていた人々の姿は消え、また誰もいない土地に、アラスカは戻りつつあった。
ランパート鉱山にいたアービットやジャックたち鉱夫も、近く町を出る。故郷に帰る者もいれば、あちこちの新しい鉱山に向かう者もいる。二人も次の鉱山に向かうつもりだ。ここもすぐにゴーストタウンになる。
アービットはスウェーデン出身の鍛冶屋で、裁縫が得意。一方、ジャックはアメリカ南部出身の黒人で、料理人としても働く。
町には鉱夫たちを相手にダンスホールで働く『楽しみ女』と呼ばれる人たちもいた。鉱山が閉鎖すれば、彼女たちも職を失う。町を出て、次の場所へ向かう。
ある日、着いたばかりの蒸気船を眺めていたアービットの前に、楽しみ女の一人、ミリーが現れた。彼女は二、三週間前に赤ん坊を産んだばかりで、偶然、その場で居合わせた彼に、赤ん坊を押しつけた。二度と会うつもりはない。孤児院に預けてくれと。彼女は船に乗り込み、振り返りもしなかった。呆然と立ち尽くす彼は、赤ん坊の父親ではない。
すぐに鉱山は閉鎖され、アービットとジャックは赤ん坊を連れ、仕事のあるバラードクリークへ向かった。3人は町じゅう、鉱山じゅうの人たちに迎えられた。特に赤ん坊は珍しく、町の誰もが彼女に夢中になった。
5歳になった赤ん坊は、ボーと呼ばれている。物心がついた頃には、彼女には二人のとうさんがいた。裁縫の得意なアービックと料理の得意なジャックだ。
ボーにはすでに担当の仕事がある。毎朝、17人分の朝食用にスコーン60個の型抜きをして、天パンの上に並べる。高温にした天火の中に、ジャックが天パンを差し込む。朝食の準備は、二人の共同作業で成り立つ。ボーの仕事は大切で、スコーンの出来を見れば、その料理人の腕がわかってしまうらしい。
朝食の準備がととのうと、ボーはポーチに出てトライアングルを打ち鳴らす。この合図で鉱夫たちは、ぞくぞくと食堂に集まってくる。大勢で囲む朝食のテーブルはにぎやかだ。
私はこの場面が、一番好きだった。彼らにとっては、当たり前の日常の一こまに過ぎないが、これ以上、尊いものもない。日常の一こま一こまが人の生活を、心を、豊かにするのだと実感する。
バラードクリークは、鉱山で働く人たちの他に、エスキモーたちも暮らしている。ボーにはエスキモーの親友や友達もいる。彼女は英語だけでなく、エスキモーの言葉も話せるのだ。アラスカの大自然の中で、人種、言葉、文化をこえ、ここで暮らす人たちは、ともに生きている。
読んでいるあいだ、幸せだった。豊かな時間を、共有できて嬉しい。でも、ニール・ヤングのかすれた歌声も聞こえていた。永遠に続くものなどないことを、ボーよりも先に、私は知っていたからだと思う。
同人誌『季節風』掲載