『フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築』
この展覧会には行けないと半ばあきらめていた
スケジュールが合わなかったからだ。
どうしても観たいわけではないのだしと、自身に言い聞かせながらも、頭の片隅に引っ掛かっていた。
なぜなのか自分でもよくわからない。
偶然、半日だけ時間ができた。
何が気になっているのか、やはり知りたかった。
急遽、前日に行くことを決めたので、展示会の概要をチェックできなかった。
どんな内容かくらい、いつもは確認しておくのだけれど、白紙状態で現地に向かった。
展示の内容は大半が図面や模型で『帝国ホテル二代目本館100周年』がメインテーマだった。
彼の建築は本国アメリカ以外、日本にしか現存しないという。
意外だった。
螺旋状の建物の淡いスケッチに目が止まった。
『ゴードン・ストロング・プラネタリウム』だった。
私がここにいる理由は、多分これだ…
『グッゲンハイム美術館』の動線のもとになったとされる実現しなかった建物。
子どもの頃に何気なく見ていた写真があった。
それは螺旋状の建物をアップで撮ったモノクロ写真で、被写体はファインダーに収まり切らず両サイドが切れていた。
何かの雑誌の切り抜きだったのか、ポストカードだったかもしれない。
写真は壁にピンで止めてあったような気がする。
多分、叔母のデスクの前だった。
なぜ覚えていたのか、あの頃の自分にもし会えるなら聞いてみたい。
何を感じていたのかと?
その後、記憶は薄れてもなぜか消えなかった。
写真の建物はグッゲンハイム美術館だった。
そのことを知ったのは、私が学生の頃だ。
偶然、見ていた画集のページに突如その建物が現れた。
遠い記憶の中のモノクロ写真と、実在の建物が合致した瞬間だった。
あの時の驚きは、今も鮮明に覚えている。
設計はフランク・ロイド・ライト。
そのことを知ったのは、更に後になる。
当時の私は設計者に興味がなかった。
グッゲンハイムは、私がニューヨークで最初に行った美術館だ。
当時はここに行かないと、何か始まらないような気がしていた。
その建物は街の中に突如現れる。
隙間にあるような不思議な立地だった
20代の大半を私はこの街で過ごしたのに、けっきょくここには一度しか行かなかった。
『ゴードン・ストロング・プラネタリウム』は構想で終わった。
彼は大自然の中にこの建物を描いた。
大自然の中でコンクリートの建物に入って、星を見る必要はあるだろうか?
グッゲンハイム美術館はどうだったんだろう?
まわりはビルやアパートメントが建ち並び、前をバスやタクシーが往来する。
ニューヨークらしさもありながら、
街との調和をどこかで拒んでいるような気がする。
そう感じるのは、私だけかもしれない。
もしいま、また現地に立ったら何を想うのだろう…