『宇野亜喜良展』を観る
宇野亜喜良という名前を知ったのは、私が学生の頃だった。
おそらくもっと前から、彼のイラストは目にしていたし、身近にあったような気がする。
ただ彼の仕事を意識して見るようになったは、やはり学生の頃だった。
当時、私は彼の画風がビアズリーにどこか似ていると感じていて、彼の絵が記憶にとどまり続けるのは、おそらくそのせいだと思っている。
私の祖母の家の玄関にはビアズリーの大きな絵が飾られていて、物心が付いた時から、私はよく眺めていた。
『サロメ』だと知ったのはずっと後のことで、それまでは出入りの度になんだか怪しく謎めいた絵から、目が離せなり立ち止まってしまうのだった。
謎解きをしているような気持ちで、絵の細部を眺めていた。
何か見過ごしてはいけないものが、画面のどこかに隠されているような気がした。
宇野亜喜良の絵もどこか通じるところがあった。
何かがあるのではないかと、細部をつい見てしまう。
今回の展覧会は、初めてみるものもあったけれど、懐かしいものも多かった。
こんな仕事もあったのかと、驚いたのが舞台芸術だった。
役者の衣装やマスクまで手がけていたなんて、ぜんぜん知らなかった。
彼の作品のモチーフは圧倒的に女性だった。
男性が女性を描いていると、なぜ対象は女性なのかと思わずにはいられない。
こんなことを以前は考えなかったのだけれど…
少し前にニナ・メンケス監督の『ブレインウォッシュ』を観たからだ。
この映画を観る前後でモノの見え方が、見方が、確実に変わった。
宇野亜喜良はイラストレーターなので、仕事にはクライアントがいる。
好きなものを好きに描いているわけではない。
絵は依頼によるものだと理解しているのだけれど、気になる。
学生の頃、彼を講師に招いて講演会が開催されたことがあった。
講義のテーマは覚えていないけれど、イラストレーターという職業について彼が話したことだけが、今も記憶に残っている。
話の内容は、絵描きとイラストレーターの違いについてだった。
絵描きはベレー帽をかぶって、アトリエでイーゼルを立てて絵を描いている。
イラストレーターは机の上で鉛筆やペンで、紙にちまちま描いている。
絵描きはカッコよくて偉そうで、イラストレーターはそうじゃない。
聴者がデザイン科の学生だったので、こんな話をしたのかもしれない。
彼の仕事は最終形が印刷物だった。
それは、ポスター、新聞や雑誌の広告、本の表紙やパッケージ、チケット、などなどと、あらゆる媒体となる。
今回は作業の過程、色指定の原稿なんかも展示されていて、妙に懐かしく、また今見ると当時のアナログさが逆に新鮮に見えるから不思議だった。
印刷原稿は確かにこんな風だった。
覚えている人はどれくらいいるんだろう。
その場に偶然居合わせた人たちを、つい見渡してしまった。
熱心に見入る人たちを横目に、彼らは何を思うのだろうと想像せずにはいられなかった。
あの頃、確かににあった工程が形として残っている。
トレッシングペーパーの上に赤ペンで書かれた指定の文字。
今ならパソコンの画面に完成形をフルカラーで表示できる。
あの頃は完成を想像するしかなった。
それでも、完成は見えていた。
目の前になくても見えていた。
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