映画『トリとロキタ』を観る
この作品は絶対に見逃さないようにしようと、2ヶ月ほど前からフライヤーを部屋に貼っておいた。
ダルデンヌ兄弟の監督作品だったからだ。
彼らの作品は『ロゼッタ』が最初だった。
もう20年以上前になる。
以来、私は彼らの映画を観るべき作品と位置付けている。
スクリーンに映し出される世界は、私とは距離がある。
それでも目が離せなくなるのはなぜだろう?
『トリとロキタ』を観てから、ずっと心がざわついていた。
どこかぼんやりしている自分がいる。
何を感じているのか、何を感じたのか、適切な言葉が見つからず、気持ちの整理が上手くできないのだ。
トリは幼い少年で、ロキタは10代後半の少女で、二人は偽りの姉弟だった。
アフリカからベルギーに流れつき施設で暮らしている。
ロキタは祖国の家族に仕送りをするため、ドラッグの運び屋をしている。
彼らの日常は暗いトンネルの中で、光が差さない。
社会は、大人たちは、本当に冷たく、誰も手を差し伸べない、搾取の連続だった。
それでも希望を捨てない彼らの強さは、どこから来るんだろう…
ビザを手にいれ、正規の職を得て、アパートを借りて二人で暮らす。
危険を犯してでもトリはロキタに会いに来る。
ただそばにいて、顔を見て、話をして、食事をして…
その存在だけで希望は、持ち続けられるのかもしれない。
先週、新聞の朝刊にダルデンヌ兄弟のインタビュー記事が掲載されていた。
「トリとロキタは固い友情が光の差す家の役割を果たしている」と語っていた。
だからこそこれまで生きてこられたんだと。
『ロゼッタ』を観たとき、この映画は社会に波紋を起こすと感じた。
大きく何かが変わるわけではなくても、ふと、人を立ち止まらせることが出来る。
出会ってしまった人を、出会わなかった人にはできないのだ。
『トリとロキタ』も同じだった。
見過ごしがちな現実に、気付かされるからだと思う。