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yuzuwords
自分自身であるために book review
『赤い鳥を追って』
シャロン・クリーチ・著
きも かずこ・訳
講談社
読み終えた後の充実感を、どう伝えればいいんだろう。
とにかくおもしろい本だった。
気がついたときには残すところ数十ページで、一気に読み終えた。
主人公は13歳の少女、ジニー。
大家族の中でいちばん影がうすい存在で、自己主張しないらしい。
ただ、これはあくまでも外側からの見方。
物語はジニーの一人称なので、彼女の影は非常に色濃く、感受性は強すぎるほど。
自分を持ちすぎているとでも言うのだろうか…
世の中には、見えなかったり気づかなかったりすれば、楽なことはいっぱいある。
一度見えてしまうと、時として生きるのが、とてもしんどいかったりするものだ。
自分であるために、人は何をするのか?
ジニーはたった一人で全長25キロのトレイルを復活させる。
この行為は気が遠くなるほど、地味な作業だ。
黙々と地面を掘ることだけに、彼女はただただ熱中する。
森の中でキャンプをしながら暗くなる瞬間を、見きわめようと目を凝らす。
そこに何の意味があるのか?
結果を求める行為は、どこかウソっぽいようにも思えてくる。
自分と話す時間は、人を成長させる。
ひとりは淋しいかもしれないけれど、悲しいこととは違う。
ひとりの淋しさは、心地よさでもある。
拒まれながらもジェイクはジニーにアプローチをつづける。
その存在は、ただただすごい。
彼が持ってくるユニークなプレゼントの数々も。
ダンボールいっぱいのビンのふたや、寒暖計のコオロギに、思わずにんまりしてしまった。
この国のティーンエイジャーと、どこが違うのだろう?
大人も違うと思えてしまうのは、私だけだろうか…