見出し画像

新進党 失敗の本質

こんにちは、海原雄山です。

みなさんはかつて新進党という政党があったことをご存じでしょうか。この政党は、政権交代を目指して野党勢力が結集してできた政党で、衆参で200名を超える一大勢力を形成していましたが、わずか3年あまりで解党に追い込まれました。

なぜ、この大政党が解党しなければならなかったのか、なぜ政権交代できなかったのかを考えてみたいと思います。

結党の経緯


1993年の政変で、自民党が初めての野党転落、そして非自民非共産の連立内閣である細川内閣が成立しました。この連立内閣は、細川首相率いる日本新党や武村政義や鳩山由紀夫が自民党を飛び出して作った新党さきがけ、それに遅れを取るまいと自民党を飛び出した羽田派からなる新生党、社会党、民社党、公明党等の政党で構成されました。細川内閣は一丁目一番地にかかげた政治改革として、衆議院選挙における小選挙区比例代表並立制を含む様々な改革を成し遂げました。その後連立与党内の様々な対立が火種となり、また細川総理自身の金銭スキャンダルもあいまって、わずか8ヶ月程で内閣は総辞職となりました。

その後、同じく非自民非共産の連立内閣である羽田内閣が2カ月の短命で終わり、次の首班指名選挙では自民党が担ぎ上げた社会党の村山富一氏が総理となり、再び自民党が主導権を握る政権ができあがるに至りました。なお、細川連立内閣で最大会派だったはずの社会党は、この直前に連立から抜けています。

来るべき衆院選に備え、元非自民非共産内閣の面々は自らが実現させた小選挙区制に対応するため大同団結する事となりました。それこそが、新進党です。

新進党の特徴


新進党は、様々なバックボーンを持つ政党の寄り合い所帯と言えました。元自民党の右よりの思想の人たちもいれば、民間労組の支援を得る人たちや比較的中道寄りの思想の政党を前身とする政治家までが、一つ屋根の下に集まっていました。主な支援組織としては、民間労組や公明党のバックである創価学会です。言うならば、現代において立憲民主や国民民主に公明党がくっついたような、中々重厚な支持母体を持つ組織と言えたでしょう。

政策面ですが、こちらは基本理念として「1、たゆまざる改革を進める」「2、思いやりと生きがいのある社会をつくる 長寿福祉社会の基盤の確立」「3 平和な世界をつくる 一国平和主義・一国繁栄主義からの決別」が掲げられました。しかし、具体的な政策の詰めは行われた形跡がありません。新進党は2度の国政選挙を戦いましたが、その時のTVCM等で謳われていたのは、消費税5%の引き上げのストップや大胆な減税策に重きが置かれており、自民党や社会党が伯仲していた55年体制時のようなイデオロギー的対立軸の政策(憲法九条や自衛隊の是非等)はなりを潜めています。これはある意味、外交安保の面では自民党との差がなく、主に内政面でより良い政策を競い合う、いわば善政競争に力点がおかれていたと見ていいでしょう。

党勢の推移

1995年夏の参院選では、改選19議席から40議席へと倍増させ、46議席の自民党に次ぐ議席数となりました。なお、このときの比例票は、自民が約1100万票に対して、新進党は1250万票となんと比例第一党に躍り出ました。

ちなみにこのときの日本社会党は獲得議席が16議席に留まり、比例が約700万票と、当時総理大臣を擁していた政党とは思えない存在感で、自民・新進両党に大きく水をあけられています。3年前の92年の参院選では約800万票を獲得していたことから、その退潮ぶりが際だちます。

なお、この選挙は投票率が44.52%と過去最低となっておりますが、一説には55年体制下で激しく対立していたはずの自民と社会党は連立を組んだ茶番劇に主に無党派層を中心として国民が愛想をつかせたとされており、組織力のある創価学会をバックにした新進党に有利な状況であったと言われています。

とにもかくにも、この選挙で新進党は、自民党と政権を争うチャレンジャーとしての地位を確固たるものとします。

続く翌年の衆議院の総選挙は、初めてとなる小選挙区比例代表並立制での選挙となります。

この選挙は、政権交代をかかげ、新進党が野党第一党として約38年ぶりに衆議院の過半数の候補者を擁立しました。逆に言うと日本社会党は長らく野党第一党にありながら政権をとる気はなかったと言えますが、それはさておき、このときの新進党は本気で政権を取りに行く気構えだったようです。

新進党は、消費税率を20世紀中は税率を据え置くことや減税、経済の活性化による財政再建を公約とする等、良く言えば国民思い、悪く言えばポピュリズムとも言える公約で自民党に対峙していきました。

しかし、結果としては、新進党は改選議席から4減らし、156議席と、239議席獲得の自民党に及びませんでした。比例でも新進党は1558万票もの票を獲得したものの1820万票あまりを獲得した自民党に敗北する結果となりました。

そして解党へ


衆院戦後、かねてからくすぶり続けていた党内対立が先鋭化しました。当時党首であった小沢一郎氏は、自民党との連携に舵を切ろうと考え(いわゆる保保連合)ますが、自民党に取り込まれることを懸念する反対論も党内で巻き起こり、小沢一郎氏は党内をまとめきれずにいました。折しも

翌年97年11月末には、旧公明党のうち新進党に合流を見合わせていた参議院議員や地方議員が新進党への合流を見送り独自に戦う方針を固めました。実は公明党は、新進党結党時には党全体で合流することは見送り、新進党参加は改選間近の参院議員と衆議院議員にとどめていました。これは、まだ不確かだった新進党の行方に対して安全策をとって組織を温存していたという説がささやかれています。

97年12月、小沢一郎氏が新進党の党代表に再選すると、自らに考えが近い議員を結集すべく純化路線に進むため、分党と新党結成とあいなりました。

このときできたのが尾沢さんの自由党を初めとした6党の新党ですが、その後程なくしてその多くは民主党と合併しますが、自由党が民主党と合併するのは約5年後のこととなります。

なぜ、新進党は失敗したのか


さて、強固な支持基盤も多く持ち、一見強い政党にみえた新進党はなぜ短命におわったのでしょうか。これはかなり複合的なものと考えられます。

①小沢一郎の独善!?
新進党の前進ともなる非自民非共産の与党内でも、小沢氏の政権運営に対する不満はありました。特に社会党とは選挙制度改革等を巡って対立を深めていたとのこと。これは、社会党にも非があり、例えば小選挙区制導入等のための政治改革関連法案に社会党の参議委員議員が一部造反し、参議院で法案が否決されるなど、連立政権内の足並みを乱す事象も見られました。小沢氏は当時何かうまく行かないことがあれば「社会党が悪い」と発言していたそうですが、もしそれが事実なら責任転嫁とも受け取られる発言で、社会党とのコミュニケーションを妨げる遠因ともなっていたでしょう。

しかし、社会党等抜きで合流した新進党においても、小沢一郎氏の強引な党運営が見られます。

中でも衆院選後の対応にやや乱暴さが見えます。衆院選敗北の原因と目されていた政策の不一致を解消しようと、総選挙で公約に掲げた消費税引き上げ凍結、18兆円減税、国連安保理の決議に基づく多国籍軍への参加を条件付きで認める「『日本再建』のための基本政策構想」ひいてはそれをもとにした「日本再構築宣言」という基本政策政策をまとめました。橋下内閣の行政改革、財政改革からなる6代改革に対抗しつつも、自民党の外交安保政策では連携を視野に入れていることも伺われ、党内の一部から反発も予想されましたが、小沢執行部はこれをあえて踏み絵とし、賛同できない者は離党もやむなしという姿勢が伺えます。党内のコンセンサスを得るプロセスは践んでいたと考えられますが、そこでいっさい譲歩をしなかったとしたら、意見の異なる側としては不満が残るでしょう。もっとも、小沢氏は先述のように踏み絵としていたわけですから、それがある意味でねらいだったわけです。
ポストの分配ができない野党サイドにとって、求心力を保つのが相当大変になるわけで、このような意見の違いを切り捨てていく手法は、勢力を縮小させるばかりに働くでしょう。

②政策や路線の不一致
新進党は小選挙区制移行に対応するための政党、もっと直接的に言えば、選挙に勝つための政党です。政策の合意らしい合意はありません。細かな考えの違いがあるタイミングでばっと吹き出すのです。なので先述のとおり誰もが合意できそうな基本理念に留まり、外交安保の具体的な考えのすりあわせ等が行われず、玉虫色でお茶を濁している感があります。

理念なき野合とも言える新進党に不安の声はあったようですが、参議院選挙では躍進して党の内外に安心感を与えました。しかし、肝心の衆院選では敗北を喫して、それ以後寄り合い所帯の弱みである考えの違いが一気に党内の亀裂となって現れました。

衆院選の敗北以後、次々と自民党に移る議員が出てきます。その中には現自民党政調会長の高市早苗氏の名前も。

また、結局選挙に勝つことができるから集まっただけなので、様子見だった公明党も党全体での合流を結局方針転換しました。

③選挙の敗北
選挙の敗北が新進党の遠心力となったわけですが、ではなぜ衆院選に勝てなかったのでしょうか。

これは、衆院選時に第三極の存在があったからです。当時社会党や新党さきがけの一部のメンバーが集まって「民主党」ができたのです。厚生大臣をつとめた菅直人や鳩山由紀夫がトップにたち、民主導=市民が主役(維新の掲げる民間の活用、民でできることは民に任せるとは違ったニュアンス?)「アジア重視」といった理念を掲げ結党されました。当時の民主党は新進党よりややリベラル寄りで、ともに保守よりな自民・新進ではカバーできないところを抑え善戦し、現有議席の52議席を確保しました。

この民主党の候補者が選挙区にたつことで、本来新進党に入るはずの政権批判票が分散し、1万票前後の差で新進党の候補が自民党の候補に敗れるという選挙区が汚多かったようです。考えの違いこそあるものの、今の自民と立憲の間にわって入る維新のような第三極ポジションとして選挙をかき回したと言えます。

また、公明や支持母体の創価学会が一部選挙区で新進党の候補者を応援せず、支持者が一枚岩になれていない状況もあり、他党を利する結果となったのも響いていると考えられます。

④選挙の後遺症
実はこの衆院選で新進党は原則として小選挙区と比例の重複立候補を認めていなかったため、執行部への恨み節もあったことでしょう。選挙区で立候補するくらいなので、優秀な人材も多くいたと考えられますが、比例重複立候補をしていればその多くは議員生命を保つことができたのではないでしょうか。そうしたしこりのようなものが、後の党運営に大きな影響を与えたことはまちがいないでしょう。

ちょっと長いまとめ


新進党がなぜ失敗したのかをまとめると以下の通りです。

・政策の不一致
・選挙敗北による求心力の衰え
・小沢氏の独善的党運営

これらは複雑に絡まり合って、どれが一番の原因、どれが先にあったのかというのは特定できないし、するべきことでもないと思います。しかし、新進党の失敗から色々な教訓を得られるのはまちがいなさそうです。

そもそも、政策の不一致はどの政党でも程度の差こそあれある程度あるものです。新進党の場合は、社会党が参加していないので、有る程度中道とそれよりやや保守よりの議員で纏まっていたわけですから、やり方次第ではまとまれたのではないかというのは、素人考えでしょうか。

私は、自民党に対抗する上で政策の不一致にどう対応するかは一つのポイントに鳴ると思います。純粋に政策や考えが一致する仲間だけで集まれば、小さな固まりにしかなれません。自民党ですら考え方の違いはあります。しかし、自民党はうまく少数者の意見をガス抜きさせたり発散させる機能を持っているため、多様な意見も内包できたのです。しかし、小沢執行部はむしろ少数者を切り捨てる方向で動いたわけですから、これでは大きな固まりを維持しようがありません。(もっとも、尾沢さんは衆院選後すでに保保連合に舵を切り、自民党との連携に活路を見いだしていたので、単独での政権復帰は目指していなかったのかもしれませんが。)

あるいは、例えば今の維新でも行っているように「身を切る改革」1点で合致できれば、維新に集まる人々を広く募るという方法もあろうかと思いますが、これは人が集まらない段階でしか使うべきではない手法と言えるでしょう。なぜなら、これは、結局「身を切る改革」以外の政策の違いを無視している
にすぎず、基本理念の作成だけでお茶を濁した新進党の対応と変わらないからです。

やはり、政策や考え方の細かな違いを前庭としつつ、それをいかに吸収し内包するかという組織文化の醸成が大きなポイントになります。

選挙についても、衆院選において勝利に向けた小さな努力の積み重ねは必要だったのではないでしょうか。例えば、第三極である民主党や社会党等と選挙区の棲み分けを行う等すれば、譲る選挙区は多少あったとしても、小選挙区での勝率は飛躍的に高まったといえるでしょう。

実際、2009年の政見交代選挙では、この反省が生きたのか、当時小沢一郎氏が代表、そして選挙担当の代表代行をつとめた民主党は、後に連立を組む社民党や国民新党との協力はもちろん、なんと共産党にまで選挙における候補者の取り下げをお願いし、自民党との1対1の構図作りに腐心し、結果民主党政権の樹立を実現できました。

そして、小沢一郎氏の党運営についてですが、こればかりは、党の中枢を担う人物はどうあるべきかという議論に収束するのではないかと思います。

党の代表なら、(ちょっと前に軽く流行語になった)まとめる力のようなものが必用ですが、橋下徹氏のように圧倒的なカリスマ性で牽引していくのか、松井一郎氏のように人間関係をしっかり作って部下を心酔させていくのか、さまざまな纏める力があるかと思います。

個人的には、小沢一郎氏は、前者のタイプのカリスマ性も有す一方、実は後者のように人間関係もしっかり作っていけるタイプだと思っています。しかし、後者のスキルを発揮させるのは、政権をとったり党内を掌握するまでのプロセスの間までで、その後は専制君主のように振る舞う印象が強いです。

そう考えると果たしてどういうタイプの人が、党内の権力を司るべきかは、自ずと見えてきそうです。

ここから先は

821字
このマガジンを読むと、ちょっとだけ政治・経済を見る視点が養われるかも!?

維新を中心とした政治経済系の記事を書いてます。 収益の一部は維新またはその所属議員に寄付する予定。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします!これからの執筆活動の励みになります!!