プロローグ 小さな私と大きな記憶
人生って、本当に映画の1コマのように一瞬、一瞬過ぎ去っていきながら、その度に、1コマずつ、映像ができあがっていくなぁ。と脳の中にある”フィルム”を覗き込んで思う。
私という人間の物語、どこから始まっていてどこまで続くのか。そんなことを考えながら、今、モニターをずっと眺めて、パチパチとキーボードをを慣れたように打ち始める。私は普通の人間。普通ってなんだろうね。と思う。普通の物語だけど、今でも残っている鮮明な記憶を綺麗な形に残しておこうと。自分でもわからないけど、なんとなく、この機会に。と思わせた暑い夏と虫の知らせ。
私は長女で初孫として生まれた。ここは東京都の下町と言われる場所。当時、家には父方の祖父母、父、母が住んでいた。生まれた時は3,000g以上あったため、母が出産時に大変だったんだから。と今でも話を聞く。今の実家にある共有の部屋には、首が座ってきた頃の私の写真が飾ってあることを知っている。前髪を輪ゴムで縛ってツンツンに立てていて、緑色のオーバーオールを着ている。そして、カメラ目線で目をまんまるしながら、キョトンとした顔で見つめている。
もちろん、当時の私について記憶はないけど、母から何度も聞いた話をここに綴っていく。
3歳、私は高熱を出した。
母が急いで病院に連れて行き、その時は処方され、しばらくすると平熱に戻ってきた。
とある日。おじいちゃん(父方の祖父)が私の名前を呼んだ。何度も呼びかけた。おじいちゃんは異変にすぐ気づいた。
「名前を呼んでも、反応しねぇんだ。」
私の母に今すぐ病院に連れていくようにと話し、母は急いで大きな病院に連れて行った。
「原因不明ではありますが、恐らく高熱から出た何かしらの影響で耳の中の渦巻き菅が一部溶けてしまっているようです。お子様の両耳の聴力が失っています。」
医者は今の医学では治療法がなく、聴力を失っていることを母に伝えた。
「私の耳をこの子にあげてもいいので、移植でもいいです。なんとか助けてくれませんか。どうにかなりませんか?」と泣きながら何度もお願いした。
それでも、失ったものを取り戻すことはこの時、成す術がないと宣告された。
この時点で、私は自然から奏でるたくさんの美しい”音”の世界から、離れていった。当時の私は3歳。この様子を私は何も知らず、笑っていたのだろうか。それとも、その風景をただただ、眺めているだけだったんだろうか。
見た記憶はないけど、話してくれたその時の様子を描くとその時にきっとこう感じたんだろうかな。と大きな記憶を創り出す。
「お母さん、泣かないで。私は大丈夫。」と母を見つめる私がいたんだろう。と思いたい。
そして、これから目まぐるしい日々が始まろうとも知らなかった。毎日泣きながら、闘う日々がくることも。
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