海辺の彼女とサザエのつぼ焼き
電車を乗り継いで海辺の町へたどり着いたはずだったが、駅前のロータリーは旧友が療養生活を送った高原の町とそっくりの作りで、潮風にさらされ続けサビまみれの『非核平和都市宣言』看板に至るまでほとんどおなじ、しばしあっけにとられてしまう。
同じ便で降りた乗客たちがバスや迎えの車へ吸い込まれた後、周囲を見回しても人の気配はなかった。携帯を確認したが、着信もメールもない。もちろんWi-Fi電波など拾えるはずもなく、ネットも確認できないのには弱った。
初めて会う人への期待感は精を放った後の男根よりも早くしぼみ、不動産屋とコンビニと牛丼屋のうなだれたのぼりが、俺を憂鬱な諦観へと誘っていく。
ただ、いつものようにカメラは持参していたので、気持ちさえ切り替えられればなんとかなる。ぶらぶら散歩しながら、あてもなく写真を撮るのが好きなのだ。初めて会う人を撮りたいわけではない。
というわけで、逢えなくても見知らぬ土地を撮影する楽しみは失われていないのだから、全くの無駄足というわけでもなかった。まだ昼前だし、散歩するなら飯でも食うかと歩き出したら、未練たらしく掌で弄んでいたままの端末が震え始める。
期待通り、待ち人からの着信だった。動画チャットと変わらず華やいだ声の彼女は、挨拶もそこそこに新たな待ち合わせ場所をてきぱきと指示し、シルバーグレイのワゴン車で迎えに行くことを告げ、手短に通話を終えた。
肩からずり落ちかかったカメラバッグをかけ直し、足取り軽く指定されたコンビニへ向かう。まもなく、大型トラック用のスペースが数台分は用意されている、都市生活に慣れた自分にはちょっと目を疑うほど広い駐車場が見えた。その手前には、教えられた通りのワゴン車がハザードを点滅させている。
運転席のショートヘアは画像と同じ。
俺が浮かれた気分で近づくと、不意に車がバックした。ワゴン車は切り返してから停まり、運転席のドアが開いて待ち人が降りてくる。
彼女はスラリとした長身で、凝った刺繍のジーンズとブラウスにウエスタン風のハーフブーツがちょっとラフに決まっていた。バストアップの画像しかみてなかったので、背の高さはいささか予想外だったが、スリムで長い脚を強調するファッションということは、そこまで込みで容姿に自信を持っているということだろう。
お互いを確認してから、俺は彼女に促されるまま助手席へと乗り込んだ。間を置かずに彼女は発進させる。
「ごめんね~来ないかと思った?」
「うん、ちらっとね……」
「駅の途中で近所の人の車を見かけたから、ちょっとあぶないかなってね」
「あぁ、それはわかるね。こういうの、わりかし慣れてる?」
「へへ、はじめてじゃないわね。もしかして、慣れた女は嫌?」
「全然! むしろ頼もしいね」
「頼もしいと来たか。そういえば、免許ないの?」
「うん、取ったことない」
「そうか~じゃ、しょうがないね。駐車場でハザード焚いてるのは、これから停めるって合図だから、動いてなくても近寄らないでね」
彼女は慣れた手つきで交通量の少ない道を走らせ続ける。車内にはかすかにケモノの臭がする。見るとはなしにルームミラーへ目をやると、バックシートに中型犬サイズのケージがあった。このまま、バイパス沿いのモーテルへ向かってもいいけど、お昼がまだならどこかで買うか食べるかと、彼女が問いかける。
さっきのコンビニで買っても良かったのに、なんてとぼけたら、それじゃ全く台無しだよと大笑いされた。挙句『惚けと惚気は同じ漢字』と、豆知識までついてくる。そうか、漢検二級だったっけ……彼女。
結局、ちょっと遠回りして道の駅で弁当と惣菜を買い求め、そこからバイパスへ折り返す。ここまでお互い名乗らず、呼びかけてもいなかった。彼女には夫と子供がいて、夕食の支度をするため時間を計算しつつ行動しなければならない。俺が知っているのはそれだけだ。道順が決まると彼女は迷わず車を進め、ほとんど会話らしい会話もしない間に目的地が見えてくる。
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