個撮八景 Portfolio of a Dirty Old Man第8話:質と量のあいだに
三脚のアイコンがあるとすれば、まさにそれだろうというシルエットの上に、これまた絵に描いたような蛇腹カメラが乗っかっていて、俺は戯画化された写真家のようにかがみながら、ピントグラスをのぞいている。格子の入ったすりガラスには、裸の女が逆さまに映し出されていた。窓から差し込む光が、スリムに引き締まった女の肌へ、曖昧な陰を落とす。俺はルーペが拡大した肌の明暗境界線にピントを合わせ、慎重にレンズボードを固定する。
こういう撮影だと、オートフォーカスは、まぁ当てにならない。だから、凹凸がわかりやすい乳首にピントを合わせたがるのは、なにもフェティッシュな意味だけではなかったりする。ともあれ、構図とピントを決めたので、さっさとシャッタを閉じてチャージし、ピントグラスを外して、チェキワイドのホルダをはめる。その間、モデルさんはポーズを固定し続けるので、できるだけ素早くやらなければならない。とはいえ、焦ってなにかをぶつけたりしたら台無しなので、急ぎながら慎重に進める。
俺がいちばん苦手なやつだ。
しかし、カメラの前でもたもたする俺など存在しないかのように、モデルのお姉さんは微動だにせず、しっかりポーズを決め続けている。さすが、ほんまもんのファッションモデルだった人は違うな。俺は深く感心しながら引き蓋を抜いてレリーズを手にすると、合図とともにシャッターを切った。
こんな撮影だから、もちろん量は撮れない。
だから、必然的に【質】を追求する。
とはいえ、その【質】とはなにか?
問題は、まさにそれだった。
いま、撮影している女性と知り合ったのは、かれこれ1年ほど前のトークイベントだった。ヌード写真がテーマだったけど、モデルさんたちへ厄介な客が嫌絡みしはじめ、これはだめだと席を移ったら、たまたま彼女の隣だったのがきっかけだ。登壇してるモデルさんを、自分もその女性も撮影していたところから話が始まり、なんとなく意気投合して、その年の暮にコスプレ相互撮影してからずっと、ソーシャルやらなんやらでやり取りが続いていた。
とはいえ、お互いいそがしかったり、タイミングが合わなかったりで、コスプレ撮影のあとは直に会う機会もなかったけど、メッセージのやり取りは絶えなかった。ただ、彼女の旧知というか後輩のセクシー女優が男性ヌードモデルを探していたところに俺を紹介して、実際に撮影したりされたりしはじめると、彼女とのやり取りでも自然と撮影の話が出るようになった。
そんなある日、そのコスプレお姉さんからソーシャルネットのアカウントが届く。
それだけならまだしも、彼女が毛嫌いしていたオサレ画像系サービスのアカウントだったので、かなり驚いてしまった。しかも、添えられていたメッセージは『被写体再開』である。
コレはガチだな。
義理だのなんだの抜きにしても、機会があるならあるだけ、俺は彼女を撮影したい。もちろん、即座にコスプレお姉さんへ返事を書く。おそらくオンラインだったのだろう、ほぼチャット状態で返答が届いた。
『お願いがあるんだけど、通話できる?』
なんか、ちょっとだけ、めんどくさい予感がした。ただ、コスプレお姉さんは回りくどい話はしない。むしろあけすけすぎるくらい直截な物言いをするから、話しそのものは早いだろうとも思う。とりあえず、いますぐにでも通話できると、それだけ返事してインカムを用意する。やがて、コスプレお姉さんのアイコンが表示され、俺は即座に通話ボタンをクリックした。
「お久しぶり」
「だよね、通話はホンマに久しぶり」
「でさ、メッセみたよね。撮影再開するのよ」
コスプレお姉さんが照れくさそうに微笑むの、はじめてみた。
「うん、いいね。で、コス?」
「ううん、脱ぎ」
さっきまでの照れ笑いは即座に消え、お姉さんはいつものキメ顔でドヤる。
「まじか?」
「流石にそろそろ限界というか、いまのうちにって意識し始めてる」
いいながら首にわざとらしく影を作ったり、裾を捲って脇腹をみせたりしたが、それでもアンチエイジングに金と時間をかけているだけあって、年齢を感じさせないハリとツヤはある。
とはいえ……残された時間を考えると、か。
なるほどとは思ったが、もちろん口には出さない。代わりに「やっぱ有償だよね」と、確認の言葉でごまかす。
「もちろん!」
「あぁ、だよね。いちおう金額を教えて下さい」
「おじさんは無償でいいよ!」
「やった! ありがとう!」
コスプレお姉さんの口元に『しょうがねぇなぁ』と言わんばかりの笑みが浮かんで、すぐに消えた
「喜びすぎ。それに、空いてるときだけね」
「うん、それは当たり前ですね」
画面越しのふたりがお互いにうなずき、さしたるなにかもないのに、もっともらしくしたり顔をみせるさまは、冷静に考えるとひどく滑稽だったろう。そして、俺は通話のきっかけだった『お願い』をすっかり忘れて、この話題を終わらせる合図のように受け止め、別の話題を考え始めていた。
しかし、お姉さんはまだ本題に入っていない。
「ところで、直近の週末とか空いてます?」
「うん、予定ないけど」
「じゃ、撮影お願いしたいんだけど?」
「はい喜ん……で……」
喜びすぎ……コスプレお姉さんは眼差しだけで俺を黙らせる。
「でね、思いっきりとんがったなにかがほしいのよ」
「とんがった? なんで?」
「告知に使うから。いちおう昔の個撮とかもあるけど、いくらなんでも年取っちゃってるからね」
「あぁ、撮り下ろそうと」
「で、とんがったなにかがほしいの」
でも、どうせならきれいなスタジオかなにかでハイクオリティな写真を、それこそ後輩さんのツテで撮影場所ごとカメラマンも確保できると思うし、いすれにせよ俺に声をかける意味がみえない。
「ほしいのはわかるけど、なんで?」
口に出して訊くしかない。
「ちょっとでもまともな人が来る可能性を増やしたくてね」
やはり話は見えない。とんがった写真でまともな人が来るのか?
いや、そんなこたぁない。
「そうなの? 俺の写真なんか、むしろ変なのがきちゃうんじゃない? そもそも、カメコって作品観ないっしょ?」
「うん、糞カメコってほんとに作品も条件も観ないから意味ない。でもね、反対にまともな人ほど作品を観る」
「うん、それはわかる。でも、それなら無難に映える写真のほうがよくない?」
俺の言葉も思考も、コスプレお姉さんが表情のかすかな動きと眼差しだけで『わかってねぇなぁ』と応えた瞬間に途切れた。
「それってハエ取り紙みたいなもんよ。なんのポリシーも覚悟もないクズほど、映えに惹かれて映えしか考えない」
コスプレお姉さんのオヤジギャグはともかく、なにがいいたいかは察しが付いた。
とはいえ、だ。
俺の写真はマジでヤバイんだよな。ガチでインプレ稼げない。糞カメコ避けはいいとして、まともな撮影者も来なかったら元も子もない。さておき、俺の写真がなぜインプレを稼げないかは、自分の中で答えが出ている。
写真なのにパット見でわかりにくいから。
反対に映える写真はチラ見でわかる、なにかが伝わる感じる気にさせる。
ニンゲンって生き物は、腑に落ちないなにかを気味悪く感じ、おうおうにして忌避するし、下手すると疎外感を覚えて攻撃的になる場合すらある。だから、糞カメコも寄ってこない。ただし、そんなものはインプレも稼げない。
その反対に、即座に腑に落ちるなにかは好ましく思い、親しみを感じる。だからインプレも稼げる。その代わり、糞カメコも……。
いろいろ小賢しい言葉を撒き散らしても、ニンゲンってのはそういう生き物だ。
おまけにソーシャルはちっちゃな画像の瞬間的な印象で、閲覧するか否かがきまる。その判断時間は1秒未満で、ソーシャルのインプレを稼ぐためにはせめて3秒間は目を、いや指を止めるよう、画像に印象的なキャッチコピーを添えるなど工夫しましょうとか、赤裸々な内容が記されていた。
だから、コスプレお姉さんは糞カメコだけ『お呼びでない』と悟らせつつ、まともな人には引っかかってくれそうな画像として、俺の写真に期待している……のか?
それは、あまりにも俺の写真を買いかぶっているんじゃないか?
あるいは、俺の希望的観測なのか?
とはいえ、俺は撮る気まんまんだし、撮るからには全力を尽くす。
それだけだった。
コスプレお姉さんはあれこれ言ってたけど、もはや『とんがったなにか』が渦を巻いていた俺に頭には、ほとんど入ってこなかった。ただ、お姉さんはチェキワイドで撮影した話に食いついて、俺も特に別案はなかったし、そのままチェキ撮りって運びになる。
チェキワイドはモノクロに決め、撮影は10カットの2枚撮りで20枚、つまり2パックって話になった。この辺は通話しながらチャットでやり取りしたからよかったけど、会話だけなら危なかった。
問題は、チェキでどういうヌードを撮るか?
翌日、チャットの履歴を繰り返し読みながら、俺は頭を抱えた。
いったい、なにを話していたんだ?
コスプレお姉さん:有償だからかやたら数を撮りたがる
コスプレお姉さん:撮れ高とか抜かしやがるし
コスプレお姉さん:そんな調子だからまともにセレクトどころかハンドリングすらできなくて画像がこないとか、丸ごと全部とか
コスプレお姉さん:表情やポーズが微妙に違うだけの連続写真を丸ごとよこされても困るだけ。パラパラ漫画でも作れってのか?
コスプレお姉さん:頭悪すぎ
俺:まぁ、脱いじゃうとね
俺:性欲だけで撮るから
コスプレお姉さん:コンセプトもなんもない
コスプレお姉さん:ただ撮りたいだけ
コスプレお姉さん:壁でも撮ってればいいのに
俺:耳が痛い
コスプレお姉さん:ピンクのごてごてしたドレッサーやら姿見のある白っちゃけたスタジオで、ニコパチヌードなんかは勘弁してほしいのよ
コスプレお姉さん:質よ! 質! そういうのに限って馬鹿みたいに撮りまくって、データ量圧迫するんだから
ともあれ、お姉さんが俺の家で撮影する。
時間も決まったが、それだけだった。
それだけ、決まっているのはほんとうにそれだけだ。
これは、内容についてもういちど打ち合わせないと、どうしようもない。
通話した夜は途中から会話の流れを見失って、雰囲気でそれっぽい言葉を垂れ流すだけのボットになっていた。困ったのは、チャットにもろくな手がかりが残ってなくて、どう考えても打ち合わせをやり直すしかなさそうなところだ。まぁ、チェキのモノクロ撮影ってのと、日時が残っているだけでもめっけものだろう。
だめだ……なんの参考にもならない。
ただ、チェキで撮る流れになったのは、なんとなく腑に落ちた。
しょうがないので、コスプレお姉さんに『コンセプトを詰めたいから、もういちど通話したい』とメッセージを送る。ところが、返事は『おじさんの作品だから、好きにしていいよ。おまかせします』なんて、最近どっかでみたような文字列だった。ただ、それでも『おじさんが売れっ子の被写体さんを撮った背中のヌードは気に入ってるから、その方向でよろしく。顔は写らなくてもいい』と、最低限のヒントはよこしてくれたから、それをとっかかりにふくらませるしかない。
でも、お姉さんの依頼撮影みたいなものなのにな。
ふと、そんな気持ちも頭をよぎる。
まぁいいや。
ここは腹をくくるしかない。
問題は、質か……。
いずれにしても、大判カメラのワイドチェキ撮影だから、量は問題にならない。
実際、それから撮影までコスプレお姉さんと打ち合わせの時間は取れず、結局は自分だけでアイディアをひねり、当日を迎える。とはいえ、お姉さんが方向性は示してくれたから、それに乗って背中のヌードを土台にして、俺の趣味で包帯を巻いたりしたら、それなりにバリエーションも出るだろう。また、エロに厳しいオサレ画像系サービスだから、乳首はもちろんお尻の割れ目もなしだ。そう考えていくと、大まかなアウトラインは見えてくる。
顔を画面に入れないから、表情も関係ない。構図とテクスチャのストロングスタイル。つまり、質なんだな。
そんな具合で、当日までにセッティングは決めていたから、撮るだけなら準備はすっかりできている。そんなわけで、最寄り駅でコスプレお姉さんと合流したあとは、それぞれ淡々と支度を整え、俺はお姉さんの肌にピントを合わせていた。
微妙にピン位置を調節し、陰影がいい感じになったところで構図を確定させる。
そうやって、最初の1セットは背中をアップで撮り、次にすこし引いもらうって腰から肩のテクスチャをフレームに収めた。こうして、さらに2ショット撮影したところで、休憩をいれる。撮影した4枚のチェキを机にならべ、浮かび上がったモノクロの映像をながめていると、横からコスプレお姉さんが顔を出す。
「いい感じ」
「あ、ありがとうございます」
コスプレお姉さんに褒められて、俺は正直に嬉しかったし、なによりほっとした。
「やっぱ、おじさんはおまかせというか、丸投げで勝負がイイね」
「ありがとう。でも、やっぱしんどいよ」
お姉さんはかすかに眉をひそめ、ちょっと意外そうな表情を見せる。
「おじさんは下手にリクエストしたらそれにこだわりすぎるから、ふんわりあいまいにしましょうねって話したら『せやせや』なんて、めっちゃ軽く流してたけど、そんなに大変だった?」
俺は完全に不意を打たれ、無防備に『どうしたらいいのかわからない顔』をさらしてしまう。なにせ、そんなやり取りなど、全く覚えていなかったのだ。
「あきれた、覚えてないの?」
こうなったら、素直に認めるしかない。
「うん、ちっとも。それより、俺の撮影で大丈夫なの? その、なんちゅうか、訴求力ってのがさ」
「がちがちの撮影は別カメラマンに依頼するって、それも話したよ」
あぁ、もはやお姉さんの目を見れない。ただ、うなだれる俺の後ろから、コスプレお姉さんがボソッと呟いた。
「悪くないじゃん。結果オーライ……だね」
さっきまでのような調子で撮り続けてくれと、お姉さんに後押しされつつ気持ちを切り替え、撮影再開。
こんどは胸に包帯を巻き、正面からも撮影する。
巻いてる最中「平らだから巻きやすいじゃろ」なんて、どう返したらいいかわからなくなるネタを振るお姉さんに、俺はちょっとだけ手を止め「あんま関係ないんですわ」と、なんのひねりもない、ありのままを返した。
包帯を巻いた背中は、実にピントが合わせやすい。ただ、陰影と繊維の表情、文字通りのテクスチャがすべてなので、やはり慎重に構図を決め、おもむろにシャッタを切る。
こうしてさらに2カット撮影し、さらに下腹部へ絆創膏を貼ったイメージを撮影しようとコスプレお姉さんに伝えたら、なぜか「いや、それはやめましょう」と拒否された。
「たぶん、強すぎて浮くと思うんだ」
理由を話すお姉さんに俺はうなづくと、なら包帯を巻いた胸を撮ると伝えた。
そして、最後にほぼシルエットの後ろ姿を撮影して終了。
「お疲れ様」
「ありがとう! チェキみせて!」
「うん、すぐ手にとってみられるの、チェキのいいところやね」
「しかも、ワイドだからほんとに写真って感じするし」
そんな言葉をかわしながら、ふたりで像の浮かんだチェキをみる。
「いいね! 思った通り! とんがってる! おじさんにお願いしてよかった」
ちょっとびっくりするくらい喜んでいるお姉さんに、俺は口をとがらせて「せやせや、ワイの作品やで」なんて、大人げない言葉を浴びせてしまう。だが、お姉さんは「そういうのはしっかり聴いてるのね」と、鼻をひくつかせながら笑うだけだった。
撮影したチェキから、コスプレお姉さんが選んだ半分を渡すと、それで納品も終了。あとはお姉さんが自分で好きにスキャンするそうだから、これで本当におしまい。
コスプレお姉さんを駅まで見送り、戻った自分はモノクロのチェキを手に取り、そして自分用のスキャンを始める。パソコンやスキャナの準備をしながら、改めて『とんがったなにか』について考え始めてしまったけど、どうせ答えなんかみつかりやしないんだ。そもそも、答えのない問なのだし。
スキャナのガラスを刷毛で拭いながら、俺はふっと気がついた。
質の問題じゃないかな?
ともあれ、求めるだけの【質】は確保できていたようだ。
いつか、コスプレお姉さんに訊いてみよう。
了
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