母と合格発表。
子供が親の気持ちを知るには、青春時代は短すぎる。
今も青春だと思いたい気持ちを持ちながらも、25歳。
まだいないけど、もうすぐ結婚する友達も増えてくるんだろうなあ。
自分がその切り込み隊長になる可能性もあるし、いつまでもベンチウォーマーの可能性もある。
まあ、それはそれとして。
子供が親の気持ちを知るには、本が最も役に立つ。
親子にまつわる小説を読むたび、自分の人生について考える。
自己啓発本を読むよりも、小説を読む方がよっぽど感謝の気持ちが増す。
「流星ワゴン」は絶望の淵にいる主人公の男が不思議なワゴンに乗り込んだことをきっかけに過去をやり直す旅に出る話だった。
男には妻子がいて、仕事でも営業課長をやっている。一見すると幸せそうだ。
しかし現実は、妻は夜な夜な知らない男と出会い、息子は中学受験に失敗したことをきっかけに不登校になり家庭内暴力を振るうようになった。
追い討ちをかけるように仕事もリストラになり、お先真っ暗。
そんな状態で乗り込んだワゴン。そして過去をやりなおす。
しかもそこには何故か、今の自分と同じ年齢の父親が現れた。
子供の頃から父親が怖く、そして大人になるにつれてさらに嫌いになっていた。
そんな父親が自分と同い年の姿で現れて、やり直しの過去にあれやこれやと首を突っ込んでくる。
怖くて、嫌いだった父親。
でも自分と同じ年齢の父親と出会うと印象が変わった。
思っているよりも小柄で頼りないし、観覧車が怖いなんて一面もある。
一緒にレジャー施設の記念写真を撮ろうとするかわいらしい部分も。
過去へ戻るやり直しの旅は決して成功しない。
でもそこでは同い年の父との特別なやりとりがあり、その日だけでも行動を変えることができる。
知らない男に出会うため家族を騙し家を出る妻を、努力に反比例して成績が落ち込む小学生の息子を、その少し先の現実を知っている自分が少しでも変えようともがく。
そこにはそれまでの父には知ることができなかった様々な事実があり・・・
というのが「流星ワゴン」のあらすじです。
過去の後悔に囚われる様々な人物が前を向くまでのストーリーが描かれています。
決して暗いだけではない、温かさやドラマが感じられるいいお話でした。
なんで「流星ワゴン」の話をしたのか。
それはとある記憶を思い出すきっかけになったからです。
「流星ワゴン」では中学受験に挑む息子がいます。
小学5年生のとき、自分で受験してみたいと言い出し懸命に勉強に取り組みました。
親はその様子が微笑ましく、そして嬉しく、子供を応援していました。
しかしその応援が実は子供にとってはプレッシャーになっていて、失敗した後の大きな心の傷になったのです。
追い詰めたつもりはなかったと後悔する父親(主人公)ですが、子供は親の期待をその一身に背負っていたのです。
僕はこのストーリーを読みながら「ああ、親はやっぱり子供のことがとても気になるのだな」と思ったのです。
僕は3兄弟の末っ子。
小さい頃から2人の兄を追いかけてばかりでした。
同じ野球部に入り、同じポジションを目指し、同じ塾に入り勉強をしていました。
思うとそれも親からすると微笑ましかったのだろうか。
流星ワゴンとは違い、僕は高校受験をしました。
受験したのは兄と同じ高校でした。
2人とも同じ高校だったので、僕も当然のようにそこを目指しました。
塾に通い、家でも適度に勉強していました。
僕は母から勉強に関するアドバイスを受けた記憶がありません。
「もっと勉強しろ」も「〇〇高校を目指せ」も言われた記憶がないのです。
塾の授業が終わってから先生や友達と話し込んで家に帰るのが遅くなったときに、もっと早く帰ってきなさいと怒られた気がしますが、それは勉強とは関係ないですしね。
とにかく僕の母は僕の受験には興味がないと思っていたのです。
でも、流星ワゴンを読んで、あるときの不思議な行動を思い出したのです。
母と合格発表。
高校受験の合格発表を見に行くために、僕は電車で4駅ほど先の高校まで向かいました。
家族で見に行く人も多いらしいですが、うちの母はそんなことは気にしていませんでした。
なので僕は同じ高校を受けた友達と一緒に行きました。
しかし駅から歩いて高校へと向かう中、なぜか高校近くの交差点に自転車に乗っている母親がいたのです。
僕に気づいた母は軽く自転車を止めて「ほな!」と言ってその場を去りました。
「なんであんなとこおったんや」と思いながら僕は校内に入りました。
そして大きな掲示板に、僕の番号を見つけたのです。
母は、わざわざ自転車で高校まで行って、自分の目で僕の合格を確かめていたのか。
しかも先に家に出た僕よりも早く。
思えば大学受験もそうだったのかもしれない。
高校とは違い、大学は第一志望には遠く及ばず撃沈。
やる気のないまま、センター利用で受けれる大学を受けた後期試験の発表日。
もはや僕の家族は誰も僕の受験に興味がないと思いながら、誰に告げることもなく一人で大学へ向かいました。
その時好きだった子にだけ、発表を見に行くとLINEした気がします。
合格番号はWebでも見れたのですが、どうせ落ちても受かっても現場で見る方が思い出になるだろうと思ったのです。
駅から少し歩くキャンバスで、ピークタイムも過ぎて数人の新歓の学生がいるだけの空間で、僕は自分の番号を発見しました。
ガッツポーズすることも、万歳することもなく、数回うなずいたぐらいだった気がします。
新歓を無視してキャンバスを出たとき、兄から電話がありました。
「どやった?」
「おー受かってたわ」
「おーほんまかほんまか」
なぜかその声はあんまり驚いた感じもなく、何かを確認したような雰囲気でした。
多分、兄と母は先にWebで合格発表を見ていたのだろう。
驚きの少ないその呑気な声から僕はそう感じました。
なんて記憶を思い出した。ただそれだけ。
あの時、母はどれぐらい嬉しかったんだろうか。
僕が思っているよりは関心を持ってくれていたのだろうか。
多分この先も聞くことはないし、この話もすぐ忘れてしまうと思う。
なんせうちの母は本当に無関心な可能性がある。
今日も多分世の中の韓国ドラマを漁っているだろう。
息子の生活など気にせず、画面の奥のイケメンに感動しているはずだ。
それでも、実は僕が思っているより応援してくれていたのかもしれない、と思えただけで良しとしたい。
それに、もし当時喜んでいたとしても、そんなことは忘れている方が母っぽい。(あくまで僕から見た母親像として)
それぐらいがちょうどいい気がする。
流星ワゴン、よかったら読んでみてください。
きっと自分の家族について、思い馳せることになります。