日本列島 最南端母島3
世間一般的に認知されている事だとは思うけれど
…正直、漁師の世界は相当にキツイ。
それまでエタヒニンや奴隷として扱われた事は
無かったが…
恐らく、これが奴隷なんだろうな…。って
思うようになるまで3日とかからなかった。。
当時、私が…若過ぎたのでそう思ってしまったのかもしれないが…
現在私が…他人にものを教える時
相手が何を考えているかを1番に考える
クセがつくようになったのは
この時のお陰かもしれない。
…と言うのは…。
マジで親方、兄弟子の言ってる事が本当に
一方的過ぎた😅
まず、私は…そもそもの道具や仕掛けや
その物の名称すら知らないのに…
初っ端から
知っているていで
あれ持って来い!これ持って来い!
ちげぇーよ💢早くしろ💢…
物はポンポン飛んできます。
まぁ、流石にそれでも時代は
まだよかったようで
殴る蹴る。人格を否定される。
そういった事は…ありませんでしたけどね。笑
私は…怒鳴られる、怒られるのが嫌で嫌で
1日でも早く怒られないようになる為
毎日頑張りました。
軍手をしていても、どうしても出来てしまう
手の切り傷。
両手を開いた時に…傷がない指が1本も無かった事に驚いたのを覚えています。
何日経っても船酔いが慣れず
食べては吐いて
水呑んで吐いて
それでも休んでられなんかいられないので
吐いて仕事して😅吐いて仕事して😅
吐くものがなくなると胃液を絞り出すのが
本当にキツイから仕方なくパンをかじる。
水分が足らなくなると…
指先から痺れて来るんですよね。
足の踏ん張りも効かなくなって
産まれたの小鹿みたいに、足がプルプルしてきます!
今ほどに熱中症という言葉すら
世間に浸透されていなかったので
親方や兄弟子には…
甘えてんじゃねぇ!とか
言われてました😅
私の…限界の限界まで来て…
『体が痺れて動けないんです。』
と訴えた言葉ですらも
『なんでだよ?』と睨みつけられたあの顔は
生涯忘れないですよね。。
それで、寮に帰って来ても常に誰かと一緒
陸地にいてもずーっと揺れている。
一人部屋だったのですが…
あまりの辛さに
毎日泣いていました。
『沖で海に落ちたら8割死ぬからな!絶対落ちるなよ』
これが1番初めに教わった事です…
島からポイントまで向かう道中
片道1時間程かかるので…その間下っ端は
やる事たくさんあるのですが…
ボーッと海を眺める時間は…そこそこあった時に
思っていたのが…
『あー。。。
もう、このまま飛び込んでしまおうかなぁー。。
飛び込んだらどうなるんだろう??
サメって本当に人間を食いに来るのかな…
海に落ちちゃえば…もう怒られないよなぁー。』とか…。
舟のエンジン音と
風の音で、自分自身の世界に入る事ができるのは
海の魅力的なところだとは思いますが…
こうゆう時ばかりは悪い方への思考って
止まりませんよね 笑
実際に飛び込む事は無く
落ちる事も無く思い留まっていたから
私が…今も生きているのかもしれませんが…
今までに
本気でどうなってもいいかな…と
思ったのはその時だけです😅
負けたくない!と
色々考えもしましたが…
ここで勝つ意味もないな。と
結局私は…母島へ来てから2ヶ月で
もう…無理だ。。と
ギブアップしました。が…
本当に〜濃ゆい時間を過ごしたので
1年〜2年ぐらい母島にいたような感覚が
未だにあるんですよ 笑
もちろん
労働基準法の観点
上に立つ者としての品格
どちらから考えてみても決して褒められたものではなくダメだと思いますが…
1つの文化
1つの世界を知れて
私は…いい経験だったなぁー。と
思えます😄
気仙沼の漁港に届いているメカジキは
母島で捕れたものの可能性ありますから
スーパーで見かけると懐かしくなりますよ 笑
若いうちの苦労は買ってでもしろ!
これを実践した結果
私の…経験談、人付き合いの1つのベース
として生きています😊😊
ここからは余談ですが
母島は自然豊かで
まさにガラパゴス
イルカなんて普通に泳いでるし
小笠原にしかいない鳥もいたし
マッコウクジラも舟の下に来た事ありました。
トビウオって水面からピョンピョン
飛び跳ねる魚じゃないんですよ!
本当に何百メートル
飛ぶ時には…何kmも
風を上手に使って飛ぶんです!
魚と言うよりあれは
鳥ですよね!笑
死ぬまでにもう一度
訪れてみたいな。とは
思っています。 おわり