クソ親父 2

私は…
今までしてきた悪行を
肯定するつもりも自慢するつもりも全くない。


今となって…
盗まれた方や
お店に
本当に…申し訳ない気持ちになる。


当時は…
自分の欲求を、満たす為に
スーパーや百貨店、ゲーム屋や自販機
とにかく捕まらないところを中心に盗み続けた。


お金には執着がなかったので…
それを売ったりとかは無くて…
仲間内にあげたりしてた。


捕まった事は…
一度もないけど
繰り返しになるが
本当に…申し訳ない事したな。
と今になって思う。




私は…
どうすればよかったんだろうか…。


そんな経緯もあって


…私が
子供を育てて行く上で…
どこまで…子が望むものを与えるべきか
本気で悩む。

 

まぁ…それはまた別の話をなんだけど。


私ね。
小、中と千葉県在中だったんですけど


親父の気まぐれ?
と言うか…
これもまた、意図がよぉーわからん

高校は…
島に行くか?と言われたんです。

母親の出身が
鹿児島と沖縄と間ぐらいにある島で
そっちの高校ですね!


とにかく、家を離れたかった私は…
当然『うん!行く!』と
志望しました!


そこでの物語も個人的には発見が多く異文化過ぎて面白いんですが…また別のお話。


結果から言うと…

私は…高校在学中
2年目で中退しました。


原因は…


親父の会社の経営がかなり悪かったみたいで

この頃は…

100年に一度の大不況と言われている中で…
総理大臣が誰だったかも忘れたけど…
高校卒業しても…就職先無いぞ!と
工業学校が焦っていた時期です。

17歳でプータローとなり
実家に帰省。

1ヶ月はダラダラとしましたが…
そこから
新聞配達をしながら回転寿司でバイト
初めて大好きな彼女が出来るも…
クッソビッチでお別れ…。


その頃だったかな…。


以前から
好きなようにあびるほど酒を…飲んできた
親父に天誅が下ったのは…。


遺伝的に糖尿病を持っているところで
大して運動もせず、好きなだけ酒を飲んでいたら
そりゃ必然糖尿病になりますよね!笑


病院に行っている時もありましたが…
生活習慣を変えない事には
何の改善にもなりませんので
親父いわく先生に怒られるのが相当に嫌だった
みたいです。

食事前に
目の前でインスリン注射を腹に打っているのも
見慣れた光景でしたよ。笑


して…
その糖尿病から白内障の合併症を患い
視界がボヤけると言い出したのがこの頃だったと
思います。
その時で親父…47歳とか?かな…。

そこから先は…
もう見るに堪えない。

役員で主に経理をやっていた仕事も
ミスをするようになり
不景気もあって…
表向きは自主退職。
まぁー。
クビだったんでしょうね…。

再就職先を探すも
本人、かなりの自信があったようですが
元、役員の40オーバーなんて
よほど突出したスキルでもないと使いたがらないのは明白ですよね。

再就職が決まらず
病院も通っている訳ではなかったので
悪化しながらの
半年…一年…一年半。

その間の収入はもちろんありませんから…
少しずつ借金を重ねながら
家計を支えたのは…
絶対主君に虐げられてきた
母親と私でした。

当時一番下の妹はまだ中学生。

どうにもなりません。


でも…
やっぱり
何が何でも金!金!金!とは
思えなかった私は…
何なんだろう。と今になって思いますけどね…。

あの時もっと金に
執着していれば…。と…。


それから
程なくして
親父の再就職先が決まりました。


精神病院の夜間救急の電話番。
月収にして…確か20万割るぐらいだったように聞いた覚えがあります。


…職業差別するわけではありませんが

私は…悔しさもあり
悲しかったですね。

あれだけ、さんざん
偉そうに怒鳴られ、叩かれ、ボコボコにされてきて
結局はこのざまかよ。…。



生命保険なんて
とっくに解約してるし
電気、ガス、水道、食費払って行くのが
ギリギリで


最終的には


住宅ローンの支払いも滞っており
最終的には差し押さえになりました。






まぁ…
その差し押さえ食らう前に
インスリン投与した後
血糖値を上げずに
布団で
自ら命を断ったんですけどね…。


お父さんの意識がない!
と母親から連絡を受け駆けつけた



連絡を受けた夏の暑い日曜日。


灰皿に
一本だけ残されていた吸い殻の光景は
未だに忘れられません。





結局は…
負けてしまった親父。




怖くて、怖くて、怖くて
どうしようもなかったけど…


私の中にプログラミングされている
ISMは確かにある。


それが世の中とのズレが
結構合って日々葛藤ですよ。



私は…負けない!

絶対に…。。。





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