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初仕事と水泳

私の初めて働いた時の話。

高校生の時はサッカー部のマネージャーをしていて、バイトすらせずに
学生時代を過ごして出産後は短大に通っていたので働いたのは卒業後

二十歳になってました。

その当時の私は「働きたい」と思えば簡単に働けると思っていて
とりあえず目についた仕事に応募しては断られる度に
世間の「ママ」という存在の不安定さと孤独さを知らずにいた。

何度も断られるうちに
「あれ?これって仕事ないのかな?
私って社会に必要とされていないの?
こんなに働く気があるのに、働けない原因は何?」

その時の挫折感や不安はとても大きくて
悲しくて仕方なかった。

そんな時にたまたま
自分が習っていたスイミングスクールでインストラクターの仕事を
応募していると知ってすぐに面接へ。

大した面接もしないで合格!!

本当に恵まれた環境で長男の保育園の目の前だし
むしろ長男も同じ時間にプールに入るし
子供と触れ合えたり
障害者の方を教えたり 
妊婦さんやベビーちゃんのコースもあって
どれも楽しかった。

幼稚園の子達は可愛い盛りで
小学生は生意気なんだけど
教え方で表情が変わる。

自分が幼い頃に教わった方法をそのまま伝えてたし
大好きな水の中にいることが幸せな日々だった。

メインの先生のやり方を教わって自分のやり方を足していって
そうやって指導する中で自分なりの方法を見つけていったりして。

でもその最中に何度風邪をひいたり
喘息発作出たり、喉をやられたか。。。
思えばこの頃発作の点滴治療されてから
喘息発作は出てない。

とにかくスイミングは広いからかなり大きな声を出さないと
子供は気づかない。

他コースにも何人も泳いでいる子入るし
自分のタイミングで次のスタートに気づけるレベルになるのは
かなり上のコースの子たち。

今考えてもこの時の大声の呼び出しのおかげで
「声が大きい」

3歳の時に始めた水泳は小児喘息の治療のためだったし
私はカメタイプでゆっくりと上達していった。

下級生に抜かれていくタイムや級。
それに全く悔しくもなく、
先生はいつも優しいし嫌がらずに通い続けていて
いつの間にか選手コースになり
週4回は水泳していて
5時半からストレッチや筋トレを一時間して
それから水の中で二時間泳ぐ生活を
小5まで続けていた。

やっとタイムがクリアされて選手コースの一番上に上がったその日

私は母に言われた通りに
先生にこう告げた。

「勉強しなくてはいけないから今日で辞めます」

何度も引き止めてくれた先生の言葉に耳も貸さずに
私はその日に水泳を辞めた。

しかしその後またそこに戻ってきたから不思議だ。

しかもその時お世話になった先生が長となって面倒を見てくれた。

今じゃ考えられない水着が制服w

給料は全て長男の保育料に消えていったけど
一緒に働いていた先生たちはみんな良い方ばかりだったし
楽しかった記憶しかない。

あと水を叩いて次の子を呼ぶのも楽しくって

今でも私のストレス発散方法は
「水の中に入ること」
これが一番自分の声を聞けるし、自分に戻れる。

水と私は縁が切れない。

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