サブカル大蔵経59笹山敬輔『興行師列伝』(新潮新書)
春日太一に続き頼もしい芸能史家誕生。特に永田"ラッパ"雅一の項がまさに映画的で、ロッテファンとしても運命的なものを感じた。長谷川一夫の存在も映画的。松竹のすごさとしょぼさも感じる。今や吉本と東宝に押されぱなしだが、耐えて逆転底力見たい。
興行の日本における端緒は中世の勧進興行にあり、寺社の建立や修復の資金調達を名目として、猿楽や田楽など様々な芸能が行われてきた。p.3
お寺の建築資金が興行の始まりかぁ。なんか誇らしいような申し訳ないような。
明治23年1月、華々しく開場した祇園館の客席では、松次郎と竹次郎が声を張り上げ、物を売り歩いていた。竹次郎は舞台中の女優に見せられていた。団十郎と雁治郎の姿は一生忘れることのできないものだった。p.66
松次郎と竹次郎で松竹。祇園という舞台。
中田カウス曰く、吉本の実態なんてマネージメントと言う名の合法的な人身売買、テキ屋稼業の巨大化したもんですからね。そこら辺から湧いてきた芸人を酷使し、上前をごそっと搾取することにより膨大な利益を得る優良企業。それがいい意味でも悪い意味でも吉本の正体なんです。まさにほんまもんの興行の会社ですわ。p.111
怪芸人ではなく、芸人代表としてのカウスの言葉をもっと聞きたい。まだせめぎ合いなのか?大崎会長がなべおさみを雇った意図もこの辺りかな?
松竹が吉本から芸人を引き抜こうとしたことが発覚し、正之助自ら白井松次郎の元へ乗り込んで行った。演劇は松竹、演芸は吉本の密約が結ばれて、松竹は漫才から手を引いたが、正之助が東宝取締役に就任したことを受けて、松竹は吉本を敵認定する。p.139
松竹対吉本の因縁。演劇と演芸。新喜劇も御法度だったのか?
松竹の意を受けた永田雅一が実働隊の伴淳三郎に大金を渡し、吉本引き抜きに動く。p.140
大映社長前の永田の動きは実写化希望。
せいは、広沢虎造の興行権を手に入れる為、虎造のマネジメントをする浅草の浪花家興行を山口組二代目山口登から紹介してもらう。吉本と山口組のつながりはこの時に生まれた。p.142
関西じゃなく浅草の縁から結ばれたとは意外。
吉本せいにとっては、愛するわが子を奪った女と、わが子が残した孫との初対面である。せいは、笠置シヅ子に、この子のために、みなで、あんじょうしましょう。p.153
このくだり、吉本という存在のクライマックスか、ルサンチマンの始まりか。
ようやく浮上の足がかりをつかんだのは、撮影所の見学者のための案内係になってからだ。ここで彼の弁舌が活きた。p.164
永田の最初は案内人。
彼が最初に取り組んだのは引き抜きだった。狙いはライバル企業に成長していた松竹だ。新聞には「引き抜き王」とまで書かれるまでに。野心を抱いた中谷専務は、永田を使って横田社長を退陣させ、社長に就任。それからわずか5ヶ月後、中谷は、永田から日活を退社すると記された電報を受け取った。黒幕は松竹であった。いっそのこと永田を引き抜いてしまえと言う結論だった。p.169
松竹に引き抜かれた引き抜き王。
昭和12年、東宝に入社しようとした松竹の林長三郎が斬られる。永田、警察に土下座。p.175
実際「斬られる」わけだから、リアリティが違う。
昭和17年、国策映画会社を作らせ、松竹を出て、役員に就任。のちの大映の誕生。p.177
流れるような立ち回りとタイミング。これができるのも戦時中だから、なのかな。
関係者の証言は食い違い、それぞれに物語が生まれる。黒澤は「これはまさに羅生門だ」と書き記した。p.188
ちょっと羅生門が矮小化されたような、現代化したような。
昭和36年大映は役員会で20億円の増資を決めた。使い道は永田がオーナーの大毎オリオンズの本拠地東京スタジアムの建設費20億円、東京と大阪の映画館の建設に5億円、超大作映画『釈迦』の制作費5億円と発表された。仏教徒の永田にとっては大映復活の祈りを込めて、大仏建立をするような気持ちだったのかもしれない。p.197
釈迦、昨年見ましたが、こんな背景があつたとは…。東京スタジアム、オリオンズと釈迦…。因縁だ…。
松竹をライオン、東宝を子猿に例えた記事もあるが、大谷にとっては小林こそが巨大な黒船だった。p.228
阪急と松竹…。歌劇団。水の江瀧子。
東宝と松竹の戦争、小林は、松竹を現状維持を望む守旧派、東宝を既成勢力に挑戦する改革派として印象づけようとした。p.234
ひとつ、北海道の「本間興行」は本書にに入らなかったが、続編か番外編を期待したい。ロシア人脈やアイヌ人脈を使った「東の本間興行」。
本を買って読みます。