サブカル大蔵経700萩尾望都『一度だけの大泉の話』(河出書房新社)
学生の頃、いわゆる24年組たちの選集や愛蔵版が出版され、大島弓子、山岸凉子、萩尾望都、竹宮惠子らの作品を読みふけりました。
『トーマの心臓』を読み終えた時に、徹夜明けの部屋に光が差しこんできました。その時の感動的な読後感を保つために再読をせず、私にとっての『トーマの心臓』は、あの時代の大切な「一度きりのトーマの心臓」でした。
そして三十年が経ち、本書が出版されました。
〈12万字〉という言葉にただならぬ予感。表紙は『ポーの一族』のイラストで、青が冷たい感じもしますが、栞の赤い紐など、本当に綺麗な装丁です。
読み終わって、私の青春は終わったなと思いました。
もちろん作品の価値自体は変わりませんが、作品の余韻を、作者によって息の根が止められた感じがしました。
30年越しの驚愕と恐怖も含めて、この得難い読書体験ができたことに驚いています。
《以下、本文を引用させていただいたり、内容にも触れています。》
本書は、回顧録の形をとった、絵のない萩尾望都の渾身の〈作品〉だと思いました。
「すべて忘れてほしい」のだから、そう頼まれたから、私も忘れなきゃ。p.154
本来は読者も、本書を読んだ後、すべてを忘れなければならないのかもしれません。しかし、<作品>を想像や検証したくなる気持ちが出てきてしまいます。
静かに仕事をしたいのですが、仕事に支障が出ています。p.316
そんなこちらを見透かしたような、作家の鎧を外した圧倒的な迫力。
ふわふわした〈大泉サロン〉という言葉の意味を訂正・削除するために、上京してすぐに一緒に暮らした竹宮惠子・増山のりえ両氏との間で交わされたやりとりを再現するかたちで物語はすすんでいきます。
竹宮先生は美人で落ち着いていて、話し方が的確で正確で、やはり頭の良い方だなあという印象を受けました。/「私は何をやっても人に負けたことはないの」と、ニコニコと言っていました。p.22.47
竹宮惠子の印象。残酷なフラグをたてているように思えます。
もしかしたら、蟻地獄の穴になってしまうかもしれません。p.30
〈描かない漫画家〉増山のりえの業を表現。竹宮惠子は穴に落ちたのか。
増山さんは毎日おまじないのように「少年、少年」と、唱えていました。/彼女の評価しないものを描くと、注意を受けました。/史生さんはいつも増山さんのことを心配していました。/「あの人は自分で自分が守れないのよ」p.56.59.259
増山のりえさんの存在は、『風と木の詩』のヴァリアント小説『神の子羊』(光風社出版)を読んで知りました。『風と木の詩』の情報を期待していたので、3巻も出た割には肩透かしの印象でした。あとがきにも、そのことや、「少年よりも少女を書くことが上手だと言われた」ということが書かれていました。挿絵を描いている竹宮とのやり取りも、親密すぎるのか、竹宮を軽んじているような印象でした。
少年にも大人にもなれない少女達の葛藤。この関係性こそ彼女たちが嫌った面倒くさい少女の世界そのもののはずなのに。
女の子の窮屈さに気がついてしまいました。p.93
少年の世界観を確立させた方達が、五十年経っても少年の聖なる世界に一番遠いという宿業。
ある時、城さんが山田ミネコさんから電話で言われたそうです。「大泉が解散したのは城君と佐藤史生さんのせいだってね、竹宮さんからそう聞いたよ」城さんはカンカンに怒りました。p.254
本書の真の主役は城章子さんなのかもしれません。大泉サロンが解散したのは自分のせいだと言われ、一番怒っているのは城さんだからです。
「わかった、あなたはいろんな人にそう言いふらしたんだね。大泉が解散したのはあなたの嫉妬のせいでしょうが!」p.256
途中、萩尾視点や城視点だけでなく、竹宮視点、増山視点、そして山岸凉子視点、佐藤史生視点、山本順一視点ではどう映っていたのだろうかと、推理小説を読むような気持ちになりました。
本書自体も過去の出来事を現代から検証しようとするノンフィクションのような形にもなっていきます。
実証主義の城章子は、Z編集者に確認を取りたいと連絡をしようとしましたが、ご病気のため逝去された後でした。それで確かめられませんでした。Z編集者のご冥福をお祈りいたします。p.321
この辺は完全にホラー小説かと思いました。
城さんは、G・馬場の盾となった馬場元子のような存在なのか。萩尾と竹宮の関係というより、城と増山、ある意味漫画家のマネージャー同士の闘いにも思えました。
「あなたね、ここに来る人はみなモーサマのファンなの。あなた珍しいから呼んだのよ」p.338
主人公の萩尾望都のそれまでの言説をひっくり返す増山の言葉を、城が最後に上書きする意味。
少女漫画界をプロレスに例えるならば、本書の出版は、50年越しのタブーをアングルにした興行であり、出版社、編集者、チーム萩尾たちの一線を超えたセメントのような。
北海道新聞にすら、重版出来の広告を載せていました。
河出書房新社の穴沢優子さんと「図書の家」の小西優里さんとはどんな話し合いをしたのでしょうか。
手伝っている桜多吾作さんも「へえ〜裸〜〜」と、遠慮しながら驚いていました。/ある時、M君から「竹宮さんと仲直りしろよ。だいたい、大泉が解散したのは城君のせいなんだろ」/M君はデビューしてプロになり、後で病気で亡くなられました。p.53.264
数少ない男性代表として大泉時代の仲間の漫画家、桜多吾作。『グレンダイザー』読んでました。M君は、竹宮惠子『少年の名はジルベール』では大和田夏希と実名が記されていました。『虹色town』と大泉サロン…
表紙のカバーを外すと
本書で気になった部分は、
F誌の記者さんは母の言い分を信じ、私が嘘をついているような書き方をしているのです。/二度とF誌の記者と仕事はしないぞ。p.296
母を問い詰めるモト様の表現は、「記者さん」から「記者」に豹変。文体も含めて本書で一番怖かった。
ここに10日ほどお邪魔してしまい、p.120
北海道芦別のささやななえこの家を訪れ、初対面なのに10日間滞在。
キュッとしたナイスボディで腰まである長い黒髪。白い餅肌。/ささやさんに負けないキュッとしたボディの美女(山田ミネコ)p.120.125
なぜ萩尾望都は相手の容姿を書くのか。
帰ってから作品が変わったか?いやあ、一番身に染みたのは気温と日照時間、植生でした。p.137
これ、ショックでした。内田樹が竹宮惠子との対談で「日本少女漫画史上の決定的事件」とまで言った旅行をサラッと…。でも、植生に気づいたからこそ、あの作品群の奥行きになっているのでしょう。
しかし、結局、竹宮・増山両氏に対する断罪が萩尾望都の主眼ではないような気もします。
萩尾望都さえいなければ。本当に私さえいなければ、あの幸福な時間は、完成していたのです。p.275
竹宮惠子・増山のりえを苦しめたのは…
竹宮先生は苦しんでいた。私が苦しめていた。無自覚に。無神経に。p.324
萩尾望都の自覚。この苦しむ竹宮の姿は、ユーリ…?萩尾はトーマで、オスカーは…山岸凉子か?
大泉サロンはキャベツ畑の見えるギムナジウムだったのでしょうか?
だから漫画をやめたらいいのかな。やめようかな。そしたら友達に戻れる。漫画をやめて、私、過ごせるかな。p.180
漫画と友達を天秤にかけて、漫画を選んだと。文藝別冊のインタビューでは「四年に一度やめたくなる」と答えています。
(この時は〈二万字〉ロングインタビューでした。)
「あなたがなんでも覚えてしまうからだ」とは言えなかったんでしょう。(城章子)p.344
竹宮惠子にとっての最大の恐怖とは。
今日書庫を整理してたら出てきた『竹宮惠子のマンガ教室』(筑摩書房)。
この本の最後の章で、萩尾との執筆上の関係が竹宮視点から回想されていました。
濁したような感じですが、ヘタすると二人は藤子不二雄みたいになってたのでは?と夢想させる書き方でした。
で、この作品は初めの頃は、新旧の原稿ページが混ざっています。p.218
『大泉』には、『トーマの心臓』の書誌学も掲載されています。
この連載を始め、少しして、『トーマの心臓』は盗作だという風の噂が流れて来ました。竹宮先生がこれから描こうとしている作品の盗作だという噂です。これから描こうとしている作品というのは、たぶん『風と木の詩』のことでしょう。p.224
この両作品がこれからも読み継がれますように。
萩尾望都と竹宮惠子が断絶したとしたら、それは双方の人格が原因ではなく、作家としてそれぞれの作品に対する二人の強い想いが引き起こしたものだということだ。その点が共通していると感じました。
竹宮惠子のイラスト集『海の天使』には、『風と木の詩』の後日談が掲載されています。
萩尾望都は「クレア」のインタビューで「ポーの一族の続編はありません。絵柄も変わったし、絶対無理です」と語っていましたが、続編が始まりました。
作家に、人間に、絶対という事はないのだなと思いました。