サブカル大蔵経233寺山修司『両手いっぱいの言葉』(新潮文庫)
寺山の作品群から選ばれた箴言集。亡くなる前年に編まれた。
その吐き出される言葉。優しく、寂しく、強い。
今、寺山修司がいない日本。
卑怯者ってのはね、きみが何をしたか、ってことで決まるんじゃなくて、きみが何を後悔してるかってことで決まるんだよ。p.95
ドキッとしました。おのれの卑怯度が計られます。今を何かのせいにして否定する行為に逃げ込む。
何かを「あらわす」ために用いられる言語は、何かを「かくす」ためにも用いられる。p.115
これも自分でもよくするし、世間でも話すことを生業にしてる人はほとんどそんな気がしてます。
私は、現代人が失いかけているのは、「話しあい」などではなくて、むしろ「黙りあい」だと思っている。p.117
間がもたないことはいいことだ。でも、上から目線でしゃべりかけてしまう。
私は化粧する女が好きです。そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。 顔をまっ白に塗りつぶした女には「たかが人生じゃないの」というほどの余裕も感じられます。p.140
私にとっては、この言葉がディスイズ寺山修司です。学生の頃から唯一覚えている言葉です。
人間は、中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。p.179
寺山と死と。
サードはホームの一ばん近くに立っているんだけど、ホームインできない男なんだよね。それで、いつもさ、ホームインするランナーを見送っているわけね。p.202
寺山のスポーツ擬人化も印象深いです。
美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される。p.250
私の場合、マンガに復讐されてるかなぁ。
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本を買って読みます。