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サブカル大蔵経975谷崎潤一郎『春琴抄』(新潮文庫)
母の実家、京都の東一条の交差点のところに、春琴堂書店という本屋がありました。小学生の頃毎年夏休みで訪れていた時、必ずその本屋の前を通りました。ごく普通の本屋さんです。二、三年に一度くらいのペースで入り、雑誌や文庫本を買いました。レジには上品そうな年配の奥さんだったり、飄々とした風の初老の店主でした。その人たちの京都ことばのたおやかやこと。私が初めて接した、社会的な存在でした。
その春琴堂という本屋の名前が谷崎潤一郎に由来していて、実は谷崎潤一郎がお妾さんに与えた書店なのだという噂を聞いたのは私が長じて学生になってからのこと。あの奥さんか店主はその子孫なのだろうか?そして、数年前、叔母から、あの本屋さん無くなっちゃったよ、と聞かされました。店内の扇風機。外に出た時のあの暑さ。あの感覚が懐かしい。
春琴抄、読みます。
「学校ごッこ」のような遊戯をあてがい佐助にお相手を命じたのである。/結果から見れば佐助の方がはるかに多く恩沢に浴した。p.31
私は中公文庫の〈潤一郎ラビリントス〉で谷崎に出会いました。その一巻に所収の『少年』も〈ごっこ〉から始まったはず。
失明以来だんだん意地悪になるのに加えて稽古が始まってから粗暴な振舞いさえするようになったp.39
障害をもつ人を悪く描くことと耽美に描くことが両立していくことは破滅なのか、救いなのか。
巧い工合にずぶと二分程這入ったと思ったら忽ち眼球が一面に白濁し視力が失せていくのが分った出血も発熱もなかった痛みも殆ど感じなかったこれは水晶体の組織を破ったので外傷性の白内障を起したものと察せられる佐助はp.79
本を読んでいて吐き気を覚えたのは初めてでした。句読点のない塊と客観性の異常。〈工合〉も〈這入る〉も変換語の中に入っているのに驚いた。谷崎マニアがiPhoneの中にいるのか?
寧ろ反対に此の世が極楽浄土にでもなったように思われお師匠様と唯二人生きながら蓮の台の上に住んでいるような心地がした、p.87
欠損こそが浄土への開眼となる。浄土とは何かをこれ以上ない説得力で顕す。
異様な至福に慄える人生の悲劇である。(西村孝次解説)p.116
〈至福〉と〈悲劇〉が同じ文節に在るのを初めて見ました。それが谷崎なのか。
裏もユニークなデザインでした。
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