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サブカル大蔵経227石川淳『諸国畸人伝』(中公文庫)
『日本の名著』での本居宣長に対する石川淳の舌鋒鋭い批評に驚愕したことがあります。対象相手にこんな厳しいことを言う人が世の中にいることに、それか、評論とは昔はこれくらい厳しいものだったのかと。真っ当なプロレスを感じた。
では、石川淳の作品を読んでみようと、手にとったこの紀行文・伝記は、切れの良い文体と、その背景への穏やかな筆致。
自ら、松江、豊後高田、駿府、水戸、山形、伊那、塩沢、阿波、館山、新潟を訪ねる。その土地の人物と歴史を伝えていく。
渋い人選と地域。これこそ本当の〈観光〉かもしれない。
最初に訪れたのは松江。お薄が普段の街、不昧公の地。日常の背景と文化と顕れる人物とその仕事。松江の指物師・小林如泥の手捌きと精神を追う。
松江市の人は日常よく茶をたしなむ。どこの家を訪ねても座敷に上がると途端に薄茶がでる。中略 毎日10杯あまりのむ人も珍しくないだろう。p.9
小林如泥はいつもふところに五枚の板を用意していて、即座にその板を組み立てて枡を作り、酒をつぐに用いた。板がぴったり合って、酒はひとしずくも盛れなかったという。p.13
東北山形、立石寺にて。
(細谷風翁)片腕を断たれた女の亡霊が血に染んで髪をふりみだしてあらわれた。p.103
四国徳島・阿波のデコ忠。地方の芸能。その芸能を支える人たちの模様。このまま長編小説になりそう。
阿波では人形つかいを役者、人形つくりを人形師と呼びp.156
宝沢という白痴がいた。30余歳にもなって、子ども当然だった。デコ忠はこれを可愛がって背におぶって歩きさえした。白痴は、先生と言って、ほしいものをねだる。そして、おもうとおりにならないときには、これデコ忠と言って叱った。p.170
坂口安吾の父、阪口五峰は、加藤高明、犬養毅、大隈重信ともつながりのあった県会議長までつとめた政治家だった。
子どもがそばで墨をする。いや、墨をすることを命ぜられる。その墨すり小僧が安吾であった。p.200
チヤリネの曲馬団の居残りが、とんぼを切ってイタリヤ軒に化ける。p.214
石川淳は書斎の人かと思っていたが…。
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