サブカル大蔵経774三土たつお編『街角図鑑 街と境界編』(実業之日本社)
私の周りの、見えていないもの。
知らないと見えないものがある。p.3
見ているのに名前を知らないと、〈ない〉ことにしてしまう。
そして、こちらが気づいていないものほど私は日常からお世話になっていることに気付かされる。
それを〈仏さま〉とか〈おかげさま〉という風に昔の人は言い表してきたのかもしれません。
『街角図鑑』、続編も、そういう私たちの周りの仏様や妖怪のカタログです。
ちなみに昔日本を旅していた時、『ブルーガイド』が頼りだったので、実業之日本社の本を買うのは嬉しい。
【電気メーターの生態】ケースの中からそっと見守る。庇タイプ、雨がっぱタイプ、厳重タイプ、VIP待遇。(斎藤公輔)p.37
電気料金計算の時、メーターに想いを馳せるようになりました。
【橋脚の図解】今日も橋脚は支え続けている。(田村美葉)p.88
河川敷を自転車で行くと通る橋脚は、異空間に満ちています。
もし10分歩きまわっても公園がなければ、その地域では公園が不足しているということになる。(石川初)p.95
今年も檀家さんのお宅をお盆参りでまわりましたが、沢山の公園に会いました。多すぎるのでは?と思いましたが、この感覚が妥当なんですね。しかし公園というのは自分にとって最大の謎の空間です。
【東屋のなかま】公園にあると嬉しい休憩や眺望用の小さな建物。(高橋英樹)p.100
これだけ種類があることに驚きました。河川敷に5キロにひとつくらいあるかな?
【公園遊具のなかま】廃タイヤ。最近は見なくなった。半円状に埋まったタイヤの上を渡り歩いたり、腰掛けたりして遊ぶ。(高橋英樹)p.105
子供の頃、初めて遭遇した時、不条理を感じた最初の物かも。タイヤなのに埋まっていて、踏まれたり蹴飛ばされたり。本来の生態と違うことをしてしまうんだなと。人間とは、そういう生き物なんだなと。
【鉄塔のなかま】コックさん型、ジャミラ型、ドラキュラ型。(加賀谷泰子)p.146
近所にも鉄塔が並ぶところがあります。たまに巨人?と思います。この付近に住んだら何か影響はあるのかなとか。電気とはデジタルではなくアナログなんだなとか。
目的は「自分と写真を切り離す」ということだ。好きや視点によって写真を撮ると、それはすぐに自分探しになってしまう。都市鑑賞とは何か。それは「見過ぎでわけがわからなくなること」である。(大山顕)p.154
見ると撮ると知るの関係性。私も写真家の演出や気持ちが入っている作品は苦手です。それが如来的知恵かと思います。