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サブカル大蔵経711大栗博司『探究する精神』(幻冬舎新書)
著者が何の研究をされているのか結局私にはわからなかったのですが、文理の垣根をこえた、真摯な示唆を与えてくれる自伝。
渡米後の、組織人としての交渉ごとも細かく描写されていて、学問・研究のためには絵空事だけではない活動も大事だと痛感。
本を斜め読みすることを英語では「ブラウズ」と言います。もともと放牧された牛や馬が野原の草を食べる様子を表す言葉だったp.28
〈ブラウザー〉ってそういうことか!ネット民は世界中の草を食んでいるイメージなのかも。
「人間を悩ます多くの問題は、世界をありのままに見ないことから生ずる。」p.70
『自省録』からの引用ですが、もろにブッダ。仏教西漸か。
作られた概念がひとり歩きして考えを縛ってしまうことは、物理学でも起きます。p.136
仏教も宗派も、言葉に縛られて、惑わされています。
一日考えたけれど何もわからなかったという日の方が続きます。毎日がスランプのようなものです。p.145
基礎研究の覚悟、ゆえの王道。
二〇〇六年からは、日本、インド、中国、韓国の四カ国の持ち回りで毎冬に超弦理論に関する「アジア冬の学校」を開催するようになりました。p.169
この4カ国、北伝仏教ルートですね!
分野間の交流を促す時には「ハードルを下げる」ことが大切です。p.244
お茶やおしゃべりの大事さ。でないと、交流にはならない。
科学の発言は善でも悪でもないp.272
役に立つか害になるか、人間の都合。
圧倒的にレベルの高いイスラーム文明に囲まれていることを自覚した一二世紀のヨーロッパ人たちは、知的好奇心を刺激されて、それを猛烈な勢いで吸収し始めます。おそらく三〇〇年の鎖国の後に西洋文明を吸収した明治期の日本人のような状態だったのだと思います。p.280
ヨーロッパ人も日本人と同じだった。
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