サブカル大蔵経904スズキナオ『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(スタンドブックス)
おかげで普段、何も考えずに通り過ぎてきた近所の喫茶店や食堂の扉の向こうに自分の知らなかった空間と時間があるという、そんな当然のことを改めて知った。p.9
この時代だからこそ〈スズキナオ革命〉が静かに広がっていくような。
本書を経典として読むならば、その沙門としての活動の経典、待望の二作目です。
ちなみにホッピーの注ぎ方にはドバッと注ぐ「ドバイ」と、くるくると瓶をらせん状に持ち上げながら注ぐ「トルネード」があって、どちらも店主のオリジナル。p.261
本書の〈諸仏〉の一人、「江戸幸」のマスター。どんなお店にも歴史とオリジナル。お店とは別言語を使う独立国だと認識。近所のお店に行くことは、海外旅行の趣き。
自分の知らないたくさんの時間がそこには流れていて、またこれからも流れていく、という当たり前のことを思い知らされる。p.254
現代の徒然草か方丈記かの風格。
個人的には、前作登場された著者のお父さんが、ちらちらとスタンドのように出てくるのが嬉しかったです。
これから除夜の鐘をついてきます。
自分が死んだ後も当然のように存在する、そういうものを見ることでしか得られない安らぎがあると思う。p.17
「海を見に行くだけの午後」という題名。
私はずっと焚き火がしたかったのだ。p.22
みなさんにも、「ずっとしたかったこと」があるのでは?と問いかけられているような。夢は外でも未来でもなく過去にある。
これまでの自分の生活のなかに、喫茶店で過ごす時間はほとんどなかった。p.41
私も高校生の時、コーヒーなら自販機があるのにと、喫茶店という存在が信じられませんでしたが、卒業前に仲間と溜まり場のような喫茶店とご縁ができました。大学の時は喫茶店をはしごしていました。今はまた遠のいていますが、本書で勇気つけられました。お寺もそういう後押しや導きで初めて入れる存在なのかな。
今日の私は"じゃないほう"を選ぶ私だから、なんのためらいもなく「大日方面」の電車に乗り込む。p.63
畳み掛ける選択旅。日常がすぐ冒険に。
ひょっとしたら"じゃないほう"の自分とは、自分とよく似ているけどほんの少しだけ違う、兄弟のような双子のような、親友のような、そんな存在なのかもしれない。p.68
著者の示していただいた真理。善悪も、人と鬼も、双子なのかもと思いました。
サラミを、炙る…?p.93
日本有数のサラミ消費地域として紹介された山形県の宮内ハムのサラミ。すぐ取り寄せました。くどくなくてやみつきの美味しさです。
私にできるのは「その広場の辺り、さっき柵の外から見ましたよ!」と強がることぐらいである。p.124
前作から続く〈遊園地に来て入らず周りを歩く〉シリーズ。すごく、何かの比喩の実践版のような印象を受けています。
「何かで因縁をつけられて困ってるという人がいたら、とにかくここへ連れてこいと。」p.148
熊本湯の屋台村の水戸黄門。薪をくべるスーパーマン。
「横山島には住民がふたりいて民宿を経営しています。」p.151
『シマダス』めくり旅。船長アナウンス。
『シマダス』もすぐ購入しました。1700ページの結晶は、もはや本ではなく、箱のようでした。玉手箱か、パンドラの箱か。
「アホちゃうかって言われるってことは正解だなって思ったの。」p.159
横山島石山荘主人。ここは竜宮城か?
だいたい私は本棚に本を並べたあとにできる手前の空きスペースにいろいろとものを並べるのが好きだ。p.200
私もこの場所が大好きなのですが、どこかここに物を置くことが後ろめたかったです。これを〈絶景〉と名づけるセンスが、断捨離ファシズムから救ってくれました。