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サブカル大蔵経165『ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進』(洋泉社)
なぜ、ブルース・リーは凄かったのか。リアルタイムで当時を知らない私にはその熱狂を体験できず、うらやましいような、よくわからないような。でも、テレビで見た作品の得体の知れない迫力は今でも褪せることなく伝わります。
ブルース・リーの物語に出会ったのは『ハイスクール奇面組』のキャラクター「怒羅権榎道」の方が先だったかもしれません。ガンダムもウルトラマンもヤマトもリアルで出会えず、パロディの方が早く出会ってしまうのが私の世代なのかなとも思います。
関根勤さんが映画館で燃えドラを33回見たという話をよくされますが、なぜそこまで何度も見たくなったのか。何か通ずるものがあったのだと思います。それは各人種オールスターの中、アジア人に自分を重ねたのでしょうか。その強さ、何が本当で、何が演出なのか、映画と現実、アジアと西洋、日本人はどちらを向いたのか?スクリーンの中の人は映画を飛び出してしまった。その虚実の中、プロレスファン以外を巻き込んだ佐山タイガーのようなインパクトか。早逝故の未完成さから幻想も高まります。本書でのその後のパチモンフォロワーや異作・快作のカタログも楽しい。
ブルース・リーは映画で世界を大きく変えた。物語も演出もありきたり・凡庸だが、全ての弱点を補い、フィルムの中に彼が存在するだけで。p.18
演出もストーリーもいらない。そこに頼らない。観客に媚びない。余白の論理。スキがあるからこそ、わたしたちは何度も見るし、ずっと考え続ける。ガンダムもそうだと思います。打ち切りゆえの、安彦撤退ゆえのガンダム。未完成こそ大きく広がる磁場。
ブルース・リーの闘い方って、悪役みたいなんだよなぁ。あこぎなことしますからねえ。顔もフツーじゃなくなるし、あの怪鳥音じや(笑)というか、敵が遅すぎるし、弱すぎるからだよ。一方的なんだ。p.42
「いい試合」ではない。それがいちばん大事。プロレスもドラマもサブカルチャー全体もそうなのでは。完璧やストーリーを求めすぎなのでは。
板垣先生談。風忍さん、竜を倒すため宮本武蔵とブルースリーを蘇らせる。p.44
のちに板垣先生自ら遂行されています。
池上先生の男組の扉絵、モロ、ブルースリーのトレース。
ジークンドーJKDは、バーリトウード。噛みつき、目潰し。技にとらわれず、膝をローサイドキック、大腰、フロントチョークスリーパーp.54
技にとらわれないJKD。技を極めた上でとらわれず、自在に。
倉田保昭、体格俳優です、p.217
倉田さん、「やすらぎの郷」にも出ていて歓喜しました。
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