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サブカル大蔵経442鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)

1つの文明が終わろうとしている。いや、正確には最後の仕上げの段階に差し掛かっていると言うべきだろう。2世紀前ヨーロッパの一隅に生まれ、世界のあらゆる地域を否応なく巻き込んで成長してきたひとつの文明が今最終局面に入ろうとしているのである。p.264

もう小説の一節のよう。

科学の先の奇書・快著。

PHP新書が学術文庫に入って古典になる。

淡々と鋭く。残酷で、怖く、正しく。

分かった事は、日本が人口停滞社会を迎えるのはこれが初めてではないと言うことである。人口革命が引き起こされるごとに日本人のライフスタイルが一変した。p.276

人口の推移を巨視的に見れば。

人口減は本当に未曾有の国難なのか。

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どのような文明に支えられた人口成長にも初めと終わりがある。p.22

いきなりの無常観!繰り返す諸行無常。

明治初期の飛騨ではまだ生業として野生動植物の採取はかなり行われていたことが目を引く。植物では、トチ、栗、ナラ、胡桃、動物では、熊、カモシカ、猪、ウグイ、鮭など縄文時代の食品リストに直連ねているものと重なる種類が多い。p.33

 野趣あふれる日本。縄文は今も残る!

3世紀の邪馬台国時代の人口180万人以上。東日本を足すと220万人前後。p.52

 圧倒的な西日本文明。

弥生時代初期から奈良時代初期までの千年間150万人程度の渡来があり、奈良時代初期の人口は血統から見て、北アジア系渡来系が8割。もっと古い時代に日本列島にやってきて土着化していた縄文系が2割。混血した可能性が高い。p.72

 国際都市奈良。混血!

平均余命が短いと言う事は、全ての人々が短命であることを必ずしも意味しない。死亡率の高い危険な年齢を過ぎると平均余命は案外長く、70歳以上の長寿者も稀ではなかったのである。p.181

 親鸞聖人の長寿も天海の100歳超えも。

子は宝として大切にされる反面、意思のないものとして、命さえもが大人の側の都合に従い、与えられもし、奪われもした。「7歳までは神のうち」と言う諺がある。生存の可能性が不確かであるうちは人間として承認しない事は、夭折を嘆き悲しむ感情を緩和する上でも、間引きを行う上でもある種の合理性を持っていた。p.184 

 子殺しの歴史。西欧の説話でも、アマゾンのヤノマミでも、日本も同じでした。

都市の死亡率が高かった。大都市で一度に大量の人命を奪ったのは災害と流行病。明暦大火の死者は10万人。安政地震は13万人。この数字は関東大震災の3倍。流行病は、1858年安政5年のコレラ。二か月の間に23万〜26万人。事実とすれば、江戸住民四分の一が死亡。p.189

 江戸時代、めちゃくちゃ死んでる!大都会江戸で人口が増えない要因は出生率低下と地震と火災と疫病。つまり今と同じ。

深沢七郎作品の共通項、人口調整p.202

〈人口調整〉!

間引くことを、返すとか戻すとか表現する地域が多い。当時の人々の感覚では、生まれたばかりの子はまだ出生したとみなされず、生かすことが決定された時に、初めて社会的に出生と認められたのである。多くは産声をあげる前に窒息か圧死させるかしたのだが、避妊や堕胎と違い、性別や身体状況を見届けた上で選択的に実行できる点で当事者にはより好都合な面があった。p.209

〈返す〉〈戻す〉…。世界中の子供がこうされてきた歴史をユダヤ人説話集やヤノマミなどの諸本で読んできましたが、日本でのことをここまで具体的に記した書には初めて出会いました。そして日本の闇は今でも続いているのかもしれません。

常識として一般に受け入れられてきた農民は貧困であったとする悲観説は後退し、許される範囲内であるとは言え、出産や晩婚行動などに見られるように、合理的な判断によって生活水準が維持ないし向上したことがより明確になった。p.279

 白戸三平的・サスケ的常識の見直し。

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永江雅邦
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