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サブカル大蔵経130「ユリイカ 2015年1月臨時増刊号 総特集 岩明均」(青土社)
なぜ岩明均の作品は不穏なのか?
寄生獣の第一話を立ち読みした時の衝撃。
現在の『ヒストリエ』での静と動。
知識と奴隷と怒りと殺人と戦争。
語りたくなる岩明均。
『七夕の国』の平面的な表現は、まさに輪郭線にたいする暴力になっているわけですね。p.37
輪郭線への暴力…
「絵」に「生命」そのものが宿っていたのだという錯覚は完全なものとなるのである。p.77
メタ漫画
要するに岩明均は、正常者と異常者は同じものなのだと言おうとしている。さらには、後にロドスのマスターが明言するように「普通の人なんていない」と考えている。だがそれは「僕らは世界に1つだけの花」とばかりに各人の個性の素晴らしさを謳っているわけもない。「普通の人なんていない」というのは、すなわち端的に言って、人間はすべて異常なものだというのだ。p.85
正常を揺るがす無慈悲な公平感
その作品に最も特徴的なのは、こうした「無数の死躰たち」であるよりも、むしろそうしたものを出現させてもなお揺るがない「日常性の堅固さ」の方である。p.127
日常とは朝に紅顔ありて夕には白骨となる。だから、岩明均のしっかりした日常が怖い。
殺人鬼浦上の、新一に対する問いかけ「人間てなもともとお互いを殺したがってる生き物だろ?大騒ぎしすぎなんだよ。みんな血に飢えてるくせしやがって。」p.140
人間を問う原動力はどこから来たのか?
最終的にシンガーは「苦痛」を感じることを基準に、倫理の適用範囲を人間以外、すなわち「動物」にまで拡大させた。p.190
人間と動物。倫理とは。
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