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サブカル大蔵経28 押見 修造『血の轍』⑧(小学館)
8巻まで来た物語。
7巻までの帯に、毒親とかマザコンだとか記されていたが、そうは思えなかった。この母親こそ被害者だと思っていた…ということすら、8巻は拒否しかかってきた。
作者はこの作品で眼球を描くことを発明したように思えます。正常と異常を見分けるしるし。その「正常」とは少年から見たものか、読者から見たものなのか。
少年がおでこを出された瞬間キレたのは、大人になることを拒否したからか。
目玉焼きの黄身を潰すコマは、乳首をつつく暗示に見えました。
1巻から続く部屋の散らかり描写も、母子の濃密さと同調するように増してきた。
得るものより失ったものが圧倒的に多いことに気づいても人は引き返せない。その分岐点を作者は執拗に描く。しかしそれはこの物語だけではなく、みんなそうではないのか?という問いかけでもあります。
異常と正常を分けるものはどこが決めるのか?その果てに救いがあるのかどうか。
「静子さんはおかしい。おかしかったんさ、ずっと。」p.160
「いつくるかなあ?いつ私を連れ出してくれるかなあ?」p.186
ページ数ごとに血の滴りが描かれていることに今回気づきました…🩸
追記 この作品、『ママがこわい』などの楳図かずおの直系かもしれません。
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