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サブカル大蔵経8 アルーペ神父著/井上郁二訳『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄(上巻)』(岩波文庫)
ザビエルの書簡全訳。上下巻に分かれ、上巻はヨーロッパ出発からインド滞在。「ビフォー日本」状態のザビエルの真面目で天然なザビエルに出会えたのは新鮮でした。ザビエルの若き肖像画かっこいい。ザビエルのあの代名詞の髪型は日本に来てから?
「『印度の布教は、あなたの事業だ。』するとザビエルは言下に『よろしい!』と気軽に答えて立ち上がった。」p.35
「当時回教徒は最盛期にあり、トルコ人は、ハンガリーやオーストリアに至るまで、その惨虐な手を伸ばしていた」p.82
「ソコトラ島。ここに、二人の子供のある回教徒の女がいた。私は二人を回教徒の子供でないと思って、洗礼を授けようとすると、子供たちは私から逃げ出して、母親の所へ走っていき、私が彼等に洗礼を授けようとしたことを告げた。彼女は泣きながら、自分は回教徒であるから信者になりたくないし、その上、子供らも信者になりたくないのだから、洗礼名授けないよう懇願した。」p.96
「商人たちの意見によると、この島国は、印度のいかなる国々よりも、遥かに熱心にキリスト教を受け入れる見込みがあると言う。何故かと言えば、日本人は学ぶことの非常に好きな国民であって、これは印度の不信者に見ることのできないものだという。」p.265
「討論において私が彼等の質問に満足な答えを与えると共に、私の生活ぶりに非難する点がないというこの二つのことに及第すれば、恐らくこんな試験期間が半年ほど続いて後、国王を始め、武士も思慮のある凡ての人達も、キリストへの信仰を表明するようになるであろう。」p.267
「ザビエルの友人や協力者すら、ザビエルに対する不満を表明し、ゴアにいてもらわなければ困ることがわかっているのに、『あまりに旅行が多すぎる』と非難を浴びせるようになった。」p.298
ザビエルの日本渡来以前。好漢ザビエルにとってはインドは手強い環境だったろうなぁ。私も15年前にひとりで南インドをまわりました。またコーチンに行きたい。
ザビエルが立ち寄ったアフリカの東のソコトラ島も気になりました。
こう考えると、キリスト教の内包する執念というか、勃興したプロテスタントに対する危機感を抱いたカトリックの切迫感、イエズス会の戦略と任務遂行感はすごい。
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