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サブカル大蔵経193瀧波貞子『敗者の日本史2 奈良朝の政変と道鏡』(吉川弘文館)
奈良時代以前のまほろばの日本。皇族が殺害しまくる、武士的、やから的だった血生臭い時代。その原因は〈皇統〉にあり。実は現代の皇族につながるテーマ。現代も道鏡、現るか?
道鏡。史上最も権力に近づいた野心あふれる僧侶。しかも相手は女性。巨根伝説や和気清麻呂との因縁。しかし、後ろ盾のない学究肌の学僧でもあったとされる。道真や長屋王、信西みたいな悲劇か、ならば怨念の鬼と化したのか?日本のラスプーチンはいまだ謎めいている。
道鏡と称徳女帝にまつわる伝承や遺跡は、北は宮城県から南は熊本県に至るまで分布している。しかも、それらのほとんどが好意的な伝承として伝えられている。p.4
道鏡と女帝がセットで好意的な伝承…。これは、逆に世の罪滅ぼしなのか、判官贔屓なのか。真実なのか。
758年12月渤海から帰国した小野田守から唐の国の内乱(安緑山の乱)が報告されている。p.16
安禄山の乱、ちゃんと日本にも報告されてるんですね。
興味深いのは、孝謙の寵愛が道鏡に向けられたことをねたんだ仲麻呂が、道鏡を退ける口実として進言した際、道鏡は物部氏の子孫であると非難していることである。p.22
仏敵の子孫を法王にしてはいけないということでしょうか。藤原仲麻呂位コール恵美押勝も謎の人物。藤原同族の争いの中、改名して、乱を起こしたのは何故?誰に追い詰められたのか。女帝が仲麻呂と道鏡を天秤にかけ、皇統を守ろうとした、のか。
道鏡の仏教については、サンスクリットに堪能であり難行苦行の禅業を積んで知られていたと言う。p.28
サンスクリット、悉曇学を学ぶ僧侶。これは特別な学究肌なのか、それともこの当時では実は珍しくないのか?
天武の名は持統よって意図的に避けられたものと私は思う。p.51
天武の妻、持統は、天智の娘。持統は天武を助け継いだが、天智の直系になるのか。
長屋王の写経は魔術的要素を持つ左道とされ、それを根拠に謀反を企てていると密告されたのである。p.61
呪術なのか科学なのか。新しい〈術〉が世を乱す。
仲麻呂の冥福を祈って建てられたと伝える寺院の多いことがそれを物語っている。p.126
やはり仲麻呂もはめられたのか。
いよいよ八幡神が東大寺に参拝することになった。八幡大神とはいうが、杜女自身が八幡神の憑座。p.150
習合の思想がこの問題に絡んでいた。
大仏開眼会から除外された行信と杜女が組み、仲麻呂や一族を厭魅したものと考える。p.156
宗教的争いが国家の中で権力を動かしていた。これが政教分離、遷都の原因なんだろうけど、政教一致の国家が続いていたら意外と平和だったのかなぁ。
道鏡の即位を抑えるために、称徳にとっても超越的論拠としての神託が必要になった。p.184
道鏡との約束が女帝を動かす。道鏡を切りに来た。
道鏡がこの下野の地で過ごしたのは一年8か月。p.217
あの後、道鏡が栃木にいたとは知らなかったです…!
ひとことで言えば草壁皇統をめぐる争い。道鏡も犠牲者。p.220
著者の結論は、持統から続く皇統の問題が全てだと。持統も称徳・孝謙も女帝。
現在は権力がない天皇。さらに現政権が嫌がる女帝。一番ないとされることが古代以来、よみがえりはしないだろうか。
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