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サブカル大蔵経290岡潔『春宵十話』(光文社文庫)
数学と宗教。現代人にとって、同じくらい関係のないものか。その奥の調和。
全くわからないと言う状態が続いたこと、その後に眠ってばかりいるような一瞬の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。p.36
わからないという、苦しみの向こう側。わからないが、スタート。そのスタート地点にさえ立てていない、わかってるつもりのわたし。
何かのことで家内と口論して家を飛び出し、大学の近くにあった行きつけの中国人経営の理髪店で耳掃除をしてもらっているときに、数学上のある事実に気がつき、証明のすみずみまでわずか数分の間にやってしまった。p.38
まさかの『漂流教室』の冒頭パターンからの耳掻き^_^
終戦の翌年宗教に入り、南無阿弥陀仏をとなえて木魚を叩く生活をしばらく続けた。/宗教によって境地が進んだ結果、ものが非常に見やすくなったと言う感じだった。p.40
修行とは、はからいを捨てることか。木魚と念仏。浄土宗かな?
一日にノートを三ページ平均書いているので二年間に二千ページとなるが、これを20ページの論文にするのだから、まとめられたものの100分の1である。自然のリズムに合わせれば、これぐらいの比率でよいのではないだろうか。大自然のやり方は全く贅沢なもので、非常におびただしい蛙の卵から、わずか一匹の蛙しかできないのだから。p.52
無駄に見えることこそ自然のリズム。少し楽になる。これこそ自然哲学の至言か。
無差別智と言うのは仏教用語で分別智に対するものである。/一言で言えば自明のことを自明と見る力である。/その意志のまにまに向こうから働いてくる。そういう風なものだと思う。p.86
悟りと如来を一言で表されました。
これから数学をやりたいと思っておられる方に、なによりもまず味わっていただきたいと思うのは、アンリ・ポワンカレーの「数学の本体は調和の精神である」と言う言葉です。p.153
調和とは数学。調和が好きな方は実は数学的な人間なのかなぁ。
中谷さんは「自分の仕事はどうも物理学とは認めてもらえないらしい。雪を作る実験にしても、僕がやればでき、他の人がやればできないからと言う理由で、物理よりもむしろ芸術に近いもののように見られているらしいよ」と話していた。p.198
何となく垣間見える北大の問題の端緒。
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