サブカル大蔵経809豊島修『死の国・熊野』(講談社現代新書)
この時代の現代新書が大好きです。
クリーム色の表紙。杉浦康平の装幀。
カバー裏にある現代新書の類書への誘い。
読む前も後も楽しめる、一冊の映画。
今回、久しぶりに再読しました。
熊野はまだ訪れたことがありません。
熊野という日本最大の異界において、
死は、どうシステム化されているのか。
死者は、山に還るのか、海を渡るのか。
私の今回の経験では、死は、穏やかな波のように父を覆い、さらっていったイメージです。
本書刊行後、日本唯一の世界遺産道路となった熊野古道。
本書では、山と海の往来の二重性に注目。
罪の浄化のための、命懸けの世界。
死を思いながら、願い生きる人々。
そうやって、死は演出されてきたような。
ゆえに、現代的な感じすらしました。
亡者は無限の鐘を打つので人影がないのに鳴ると言う現象。p.21
那智妙法山阿弥陀寺。亡者の熊野参り。阿弥陀如来は浄土教の独り占めではない。
王子は、この世と他界とを結ぶ境界をなす聖所p.54
阿須賀神社と九十九王子。the古代。
浜ノ宮王子は「那智の山岳宗教と海洋宗教の結合点」であると考えられている。p.61
山と海の熊野を往来する死者と生者。
古代熊野において山中と海上にあると考えられた死者の霊の住む世界を、その本地とする仏・菩薩の浄土と想定していたと言うことである。p.88
熊野三山信仰の特徴。閉じられた熊野から開かれた浄土へ。
熊野本宮の阿弥陀如来を中心とする現世・来世の「現当二世」の安楽を、熊野の神(仏・菩薩)に立願すれば、かなえてくれるという信仰にあった。p.89
かなり欲張りな願い。故に貴族も武士も庶民も参る。当時の浄土への懇願の強さ。
1201年、後鳥羽上皇の熊野御幸に随行した藤原定家。「祈るところは、ただ生死を出離し、臨終の正念なり」p.98
定家の願い。臨終正念。
補陀落というのは、梵字のポータラカの音写で、補陀落山(世界)とは観音菩薩の"浄土"の意である。p.155
海洋他界から去来も
補陀落渡海船には30日ほどの食物と油だけが用意されたとある。p.171
『吾妻鏡』より
補陀落渡海を考えるとき、難しいのは同行者の問題である。p.188
道行の人。渡海僧は、あなたの代わりに犠牲になると、勧進して金銭集め。