サブカル大蔵経801白取千夏雄『『ガロ』に人生を捧げた男』(興陽館)
「ガロ」は「ゴング」と似てるのかな?
サブカルの漂流を体現したような。
どうしてそうなってしまったのか。読んでみてもその答えはわかりませんでした。
一冊の雑誌の運命に命をかけた枠物語。
表紙は古屋兎丸先生の挿画。
「編集ってのはさあ、表に出て偉そうなこと言ってる奴にロクなのはいねえんだよ」p.63
長井さん曰く。水木しげる描く長井さんの飄々としたイメージと出版の世界を生き抜く強さのギャップ。
ガロが果たしてきた役割は60年代、70年代、80年代、90年代…とそれぞれに違ってきたけど、一貫して「ガロ」は「ガロ」だった。p.97
一貫したイメージでしたが、時代を表す鑑でもあったのでしょうか。白戸三平、ナベゾ、蛭子能収、みうらじゅん…。
今は社名が変わった大手出版社が教育系でかなり稼いでてさ、コミックにも進出したがっていたらしく、それで「ガロ」だったら良い看板になるから欲しい、という話があったんだって。p.111
福武書店(ベネッセ)でしょうか。福武文庫のラインナップとガロは少し重なるか?
やまだ紫と一緒に暮らしていた高島平団地でさ、これがまた結構遠くてねえ。p.133
板橋・三田線エレジィ。一昨年高島平に行きましたが、あそこでやまだ紫さんたちは暮らしていたんですね。
Fさんが一番割に合わないよ。山中さんを助けようとして青林堂とツァイトの面倒を見たのに「悪党」扱いされて、私財を投げ打って「ガロ」復刊に尽力して、最後は尻の毛までむしられた状態で会社を売らなきゃならなくなってさ、事件の最大の「被害者」じゃないかって思うよ。p.172
著者の白取さんの吐露。
いつの間にか青林堂は右翼出版社になっていた。p.173
蟹江ガロ
間違ったのは僕だ。ツァイトが苦しくなった時、「ガロ」を愛してない人に助けを求めてしまった。p.288
新日やノアの身売りを想起しました。雑誌とプロレス団体の相関性。