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サブカル大蔵経934渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)

奇跡の怪老人・渡辺京二は今の日本のいびつさを研究する為に、『風雲児たち』のようにたった独りで過去を遡る。

「変化の前兆ー疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか。」p.13

来日2週目であのハリスが予言した言葉。

私たちは幸福を捨ててしまったのか。

少し前なのに、遠く朧げな町民の生活史を並べ、口上を添え紹介した本書は、まるで外国人を虜にした街路での露天商のよう。

街路はたんに人が通りすぎるところではなかった。授乳から行商人の呼び売りにいたるまで、暮らしがそこで展開され、いとなまれる場所であった。p.209

今月号の「東京人」の環状道路特集で、官僚の方が「これからの国の方針は、道路を人に返していくことです」と話していましたが、このイメージなのかと思いました。

しかし、実は、今の私たちが一番本書を信じられないのかも。これはどこの国のテーマパークだと。

渡辺京二の他の本を読んできた者にとっては正直、日本礼讃に違和感もありましたが

私が日本はこんなにいい国だったのだぞと威張ったのだと思う人、いや思いたい人が案の定いたからである。/私の関心は自分の「祖国」を誇ることにはなかった。私は現代を相対化するためのひとつの参照枠を提出したかったp.586

これは石原慎太郎のことでしょうか?

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 目次は、テーマパークの施設名のよう。覗き見の驚異の函へどうぞお入り下さい。

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〈第一章 ある文明の幻影〉

その眼に映った日本の事物は奇妙に歪められていたかもしれない。だが彼らは在りもしないものを見たわけではないのだ。p.52

 オリエンタリズムを超えて。記録された幻影を分けず捨てず、まず博捜していく。

〈第二章 陽気な人びと〉

「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」p.76

 当時来日した外国人の共通感想。今はわれわれは、空港に降りたら、日本人は笑顔がないと思う。なぜ真逆になったのか。でも、空港の売り子の口上や、居酒屋での酔客のバカ笑いは、江戸の名残かも?

〈第三章 簡素とゆたかさ〉

街路が掃ききよめられてあまりにも清潔なので、泥靴でその上を歩くのが気がひけたと言っている。p.135

 イザベラ・バードの訪れた日光の町。この清潔さはどこから来ているのだろう。

〈第五章 雑多と充溢〉

「多くの品物は美しいから使われるのではなく、安いから使われるのです」p.223

 手拭いの安さと美しさ。日本は昔から百均やユニクロを尊ぶ伝統があるのかも。

〈第六章 労働と身体〉

「黄金時代のギリシャ彫刻を理解しようとするなら、夏に日本を旅行する必要がある」p.250

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 来日した画家ヒューブナーの半裸LOVE

〈第十章 子どもの楽園〉

日本の子供は泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。p.394

 甘やかされ、しつけられている、と。小さな大人と扱われる外国の子どもとは、存在が違うのだろうか。

〈第十一章 風景とコスモス〉

それはむしろ「巨大な豊裕な村」の連なりのように思われた。p.440

 世界最大の都市なのに主要な建物のない江戸。実は今も同じかも。モニュメントよりも、立石、板橋、北千住…。個性的で豊かな村・街の連なりが、世界に類を見ない東京の唯一無二の魅力だと思います。

〈第十ニ章 生類とコスモス〉

「日本の犬はあまやかされている。」p.486

 外国人の印象。皆、吠えられていた。

「乳汁は全く児牛に与へ、児牛を主に生育いたし候こと故、牛乳を給し候儀一切相成り難く候間、断りにおよび候」p.501

 牛乳の給与を要求するハリスに対する奉行所の返答!牛乳は、子牛のためのもの。

彼らは人間などいい加減なものだと知っていたし、それを知るのが人情を知ることだった。p.504

 江戸の日本にはボランティアもヒューマニズムもなかったが事情と人情があった。落語で描かれる世界かも。

〈第十三章 信仰と祭〉

僧侶は「いかなる尊敬も受けていない」。彼らは愚かな怠け者で、教義についても何も知らない。p.529

 私にとって本書の注目すべき章。外国人から見た無宗教日本の理由。僧侶の存在。

日本人にとって、神仏は神社仏閣にだけおわしたのではない。フォーチュンは野仏に捧げられた素朴な信仰の姿を伝えている。p.538

 寺や神社よりも日常に宗教がある日本。

古き日本人の宗教感情の真髄は、欧米人や赤松のような改革派日本人から迷信あるいは娯楽にすぎぬものとして、真の宗教の埒外にほうり出されたもののうちにあった。p.544

 浄土真宗と外国人の宗教感が一致。キリスト教的潔癖啓蒙と一神教的浄土真宗。ここで日本的な宗教が誤解、歪められた?

〈第十四章 心の垣根〉

当時の文明は「精神障害者」の人権を手厚く保護するような思想を考えつきはしなかった。しかし、障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人びとと混ざりあって生きてゆくことができたのである。p.563

 水木しげる『猫楠』を想う。熊楠と街の周りの人たち。混ざり合って生きて行く。


*2018年、「サライ」のインタビュー。


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永江雅邦
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