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サブカル大蔵経211 TAJIRI『プロレスラーは観客に何を見せているのか』(草思社)
サイコロジーというワード。
リングと観客の関係性を支配するもの。
たぶん今の政局もそうなんだろうと思う。
表現、とは、技、感情、言葉、ふるまい。プロレスラーの表現は私たちの表現にも影響を及ぼしていく。それがプロレスラー。結局は、生きざまになるのか?
僧侶もそうなんだろうなと思う。僧侶=プロレスラー。
TAJIRIも、大日本時代から見てますが、小鹿イズムが有吉にとっての巨人師匠みたいな核になるのだろうか。
東郷と同じくアジアで教えるのが終着なのだろうか。
技は自分のキャラクターを紹介するためのツール。技自体を披露することを目的とした試合は印象に残らない。お客さんに見せるものは技自体ではなく、あくまでもその技を通して見えてくるプロレスラーの「キャラクター」と、その「心情」なのだ。p.73
TAJIRIイズム。技こそが説得力にもなるが、技を出すことを目的にしているレスラーは透けて見える。色気がないのかも。僧侶の技は何だろう。法話か読経か相談か。技をウリにしない方がいいのかも。
プロレスにおけるサイコロジーとは、やはり「当たり前のことを当たり前に展開する」ということ。p.129
プロレスのサイコロジー。心理学。催眠術か?同時体験か?プロレスラーが投げかけるサイコロジーを受け取る中の快感と想像。
当時の山口さんはそれらをすべて兼ね備えていた。p.142
山口日昇会長。ハッスルが当時のプロレスのキワモノかと思いきや、ハッスルが一番プロレスのフォーマットに忠実だった。
すべてを説明し切った漫画はつまらない。言い残したことを作品の中に含ませる。p.178
余白が後に繋がる。観客の想像に委ねる。
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