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サブカル大蔵経843瀬川拓郎『アイヌ学入門』
『ゴールデンカムイ』を読んだ時、本書の内容が頭に浮かびました。
かわいそう、差別された、虐げられた、だけではない、アイヌの活動的な歴史。
10世紀のアイヌは異境の産物を求めて海を越え、日本と大陸を結ぶ中継交易者として活躍しながら、異民族や中国王朝との対立の中に身を投じていった「バイキング」でした。p.59
海賊としてのアイヌ。北方の倭寇か。
著者は元旭川市博物館館長です。
アイヌも地域によってさまざまな考え方がありますが、上川アイヌ地域の独特の環境が著者に書かせたような気もしました。
アイヌを知らない北海道の私や日本在住の人に届けられた渾身の一冊。
アイヌを単純に「自然と共生する民」と評価してしまうと、交易民として生きてきた彼らの複雑な歴史の意味を見失うことになる。p.8
動的平衡のアイヌの歴史。サハリンの博物館の展示地図では北海道は本州、ロシア、中国と等距離にあるどこでもない場所という雰囲気でした。北方を股にかけた無国籍アイヌストーリー。
彼らはその意味で、現在の日本列島における「本家筋」とも言える人々であり、北海道の先住民どころか日本列島の先住民ともいえるのです。私たちはアイヌの中に縄文時代の「ご先祖様」の姿を見ていると言うことができるでしょう。p.13
アイヌは北海道だけの存在ではない。日本のパイセンでしょうか。私たちに先輩がいた。
Fさんが旭川で設立されたアイヌの団体「アイヌ問題研究会」のメンバーで、特高にマークされていたことを知りました。私にとってアイヌの歴史は、アイヌであることを一切語らない、ふつうの勤勉な農民であったFさんへ生をつないできた人々の歴史としてリアリティをもつものになりました。p.23
語るのがデフォルトではない。語らないアイヌの方たちのリアル。
重要なのはアイヌ・琉球人・和人が同じ縄文人を祖先に持ちながらそれぞれが違った歴史を歩んできた事実であり、互いに異なる集団と認識してきた事実です。p.43
移民が増えそうな時代の中で、日本人とは何かが問われるかもしれません。その時にアイヌの方に聞くことが増えるような。
アイヌ社会の中で北千島アイヌだけが小人伝説を伝えていなかった。この事実は、北千島アイヌこそ、伝説の当のモデルであったことを物語っているのではないでしょうか。p.147
弱者としての視線のコロポックル
北海道は幾度もゴールドラッシュで沸いた黄金島です。奥州藤原氏の一団が12世紀に北海道の日高に移住していた可能性、10世紀の北海道に修験者たちが入り込んでいた可能性が指摘されています。シャクシャインの戦いにも多数の金掘り師が関わっていました。そのためシャクシャインの戦い後、金掘り師とアイヌの結託を恐れた松前藩は和人の金掘り師が北海道が入ってくることを禁じました。松浦武四郎は羽幌を訪れた際砂金を見た。枝幸町で豊富な砂金が発見されると地元の老若男に神官、僧侶までが山に押し掛けた。p.251
『ゴールデンカムイ』の背景
南富良野町のように明治時代に砂金掘りたちが開いた街もある。p.252
金山という地名の由来が、ここに!
中尊寺金色堂の金箔には岩手の北上山系の金に混じって全く違った質の金が用いられている。どう見ても北海道の日高の砂金としか考えられない。p.267
日高と平泉という日本のエルドラド
9世紀以降東北地方に広く入り込んだ熊野修験者が金の探査や採掘組織化に深く関わっていた。p.274
東北で熊野と修験者の技術とネットワークが絡むとは…。世阿弥や大久保長安の佐渡ラインも。鉱山から見た日本史。東北や蝦夷地の方が先進地だったのでは?
戦前に富良野市西達布の東京大学北海道演習林大の山頂で6世紀後半の須恵器の「はそう」が発見されていたと知りたいへん驚きました。古墳の祭儀に用いられた祭具がなぜ内陸の奥地で、こともあろうに山頂から出土したのでしょうか。ひょっとすると古墳社会の人々は、砂金調査のため北海道へ渡り日高の産金河川をたどって西達布に達したのではないでしょうか。p.301
和人に開拓された北海道という常識の見直しが求められるかも。そういえば近所で数年前から発掘調査が行われています。
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