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サブカル大蔵経849稲垣栄洋『なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか』(幻冬舎新書)
理科系と仏教の美しい融合。
いや、そもそも仏教は理系なのでは?とも思いました。観察と類比。
植物の中にこそ顕れる仏教と、いのちの荘厳さ。
中村元先生にも読ませたかった。
蓮は約1億年前白亜紀に地球上に出現。蓮の花をよく見ると、おしべとめしべがやたらに多くごちゃごちゃしています。これは古い植物に見られる特徴です。p.21
蓮華の異様な形は私を不安にさせます。その理由がわかりました。人より古い。人ならざる存在。
曼珠沙華が出すこの物質は、穴を開けて盛り土を崩してしまうネズミやモグラを避ける効果もあります。埋葬された遺体を守る意味もあったと考えられています。p.34
墓地を守るはたらきを持つ曼珠沙華。
私たちはイネの種子の胚乳の部分を食べ、イネの種子の芽生えのエネルギーの部分をいただいているのです。p.93
物体ではなくエネルギーを頂いている。
根の深さゆえ、地獄草と呼ばれたスギナ。原爆落とされた広島で真っ先に緑を取り戻したのがスギナだった。p.144
人類の悪行すら覆すストーリー
四つ葉のクローバーは踏まれたりして傷つけられた奇形。道端で咲く。p.169
幸運の使者が実は奇形物だった。しかも人間が踏みにじったゆえの。フリークスこそ神仏の原点なのでしょうか。
植物でさえ成仏できる。修行により成仏という伝統的仏教からは逸脱。しかし日本人には腑に落ちる考え。p.188
草木成仏思想は日本らしさの根っこか。
雑草という概念は明治以降。キリスト教が分けた善悪。雑草とハーブ。/英語で雑草はウィード。欧米で雑草は嫌われ者。憎まれっ子世に憚る。p.192.196
非ハーブ。食えないもの。人の為の。
植物の命を見ていると、もうそこには自分という小さな枠組みは存在していないような気がします。p.200
〈自分〉にこだわるのは人間だけかも?
植物はその気になれば何百年も生きれるのに、短い命に進化している。長すぎる命は天命を全うすることが難しいので、植物が短い命を選択したのです。p.201
今この文節を読みながら、自民党の幹事長が甘利さんから茂木さんに交代した素早さと自民党の長さを想起しました。
華厳経に、朽ちた樹から出た若芽を見て、生命の無常を教わったと言う話があります。枯れてしまったように見えた木も本当は枯れていなかったと言うことです。p.204
生死を超えた世界は植物にあった。植物の周りを蠢く動物たち。
何千年も生きる大木も、実はたくさんの新しい命が組み合わさっていることがあります。何千年も生き抜いた幹は、生命活動を行わず、もはや枝葉を支えて、水を通すだけの役割を担います。そしてある枝は朽ち、そこからある枝は新しい芽を再生して、1つの大樹を作っているのです。p.205
私たち人間も大樹なのかも。生命活動を行っていない死んだ人も、枯れた幹のように私たちを支えてくれているのだ。
花を美しいと思うのは人間だけ。p.218
幻影と真実
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