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サブカル大蔵経921小牟田哲彦『宮脇俊三の紀行文学を読む』(中央公論新社)

宮脇俊三に人生を変えられた者にとって、垂涎の本、ついに出版という感慨深さ。

書誌学的に謎解きのように作品を解説し、宮脇俊三を再発見させてくれる著者。

あらためて宮脇のすごさに驚き、同時に真似できない不世出の人だったと再認識。

そして、もう同じような旅ができないことを突きつけられた虚しさも浮かびました。

懐かしさと虚しさと喜びと悲しみ。

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名作揃いの選択ですが『時刻表ひとり旅』(講談社現代新書)は載せて欲しかったなぁ。新書という形はターニングポイントだったと思うし、路線討論会が秀逸でした。

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(今調べたら原武史さんの解説入りで復刊されていました。)

帯に記された「懐かしいあの頃へ旅をする」そう、辿れるけど辿れない、幻の旅。

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中央公論社から1冊も自著を出さなかった宮脇本人の生前の意向p.ⅳ

 業績も闘争もてんこ盛りの中央公論社員時代の内実を一切作品で明かさない水戸黄門的ハードボイルド。

事実上タダで読める個人の旅行日記や記録がインターネット上にあふれている世の中では、書店でお金を払って買う書籍や雑誌を通じて紀行文を読むという行為を選択するためのハードルは自然と高くなります。p.5

 紀行文は好きなジャンルでした。村上春樹の本領は紀行だと思っていました。田中小実昌や車谷長吉も小説より紀行文が好きでした。今はスズキナオさんでしょうか。

そしてこの場面の直後に『時刻表2万キロ』という作品にとって最も重要と言えるであろう、宮脇自身の帰宅後の様子が描かれています。p.34

 白地図へのペン入れ。たしかにあそこが最重要か。何か悪魔の儀式のような!

『時刻表2万キロ』では登場していない路線の多くが『最長片道切符の旅』でカバーできていることになって、両方を読めば、昭和50年代前半の国鉄路線の大半の様子がわかる、というわけです。p.48

 一筆書きで補完されていたとは気づかなかったです。

この改札内改札は今でもあります。p.80

 鶴見線専用改札。ようやく3年前に通って来ました。

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「どうか、よく見てやってください、この駅を」p.85

『終着駅へ行ってきます』での赤谷線東赤谷駅駅長佐藤諭さん。宮脇俊三は作中での相手との距離感が独特。遠くて近い。

「調子づいたところを削」って淡々とした文体での完成度をさらに高めようとしていたのでしょうか。p.96

 私は旅の仕方だけでなく、表現方法も宮脇イズムの影響下だったとようやく判明。ひとり汽車旅の背徳的な恍惚感をあえて淡々と記すスタイルに憧れました。

時刻表に時刻がきちんと書いてある路線にまず目が行く。そうすると、市販の時刻表は国鉄中心なので国鉄線中心になり、私鉄は後回しになった、というわけです。p.105

 鉄道や風景や車両よりも時刻表を乗る。私も都市の私鉄が後回しになった理由がここで判明しました。なんか本書によって、自分が紐解かれていくみたいです。

で、そのミスが判明した翌日、どうしてもそのミスを挽回したくて、前日と同じ道をもう一度歩き直すと言う行動に出ています。地図を片手に、細い林道を歩いていく場面です。p.142

 奇人的行動の背景にあるもの。

「「中公新書」は歴史ものを主たる題材として発足した。」(『古代史紀行』のあとがき)p.218

 現在まで続く中公歴史新書も宮脇遺産。

私は宮脇作品を平成の初期、つまり中学から高校、大学生の頃に愛読していたのですが、当時、近所の本屋さんでどうしても手に入らなかったのがこの『時刻表昭和史』でした。p.253

 売れなかったけど、宮脇は本書への思い入れが強かったとのこと。自伝のような。米坂線今泉駅での玉音放送の話もこの本。

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学生時代から読んできた文庫本たち。いつも棚にいてくれました。本当ありがとう。

今でもよく、鉄道旅の夢を見ます。

車両か、ホームか、駅舎か、駅までの道か。

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永江雅邦
本を買って読みます。

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