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サブカル大蔵経778武藤禎夫編『元禄期軽口本集』(岩波文庫)

今や日本の一大勢力となった〈お笑い〉、〈芸人〉とは何か。その源流はどこか。

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江戸期に編まれた多くの笑話集を一冊に。日本で笑い話の本が沢山出されていた事を初めて知りました。江戸でも、上方でも。

本書もほぼ1ページ未満の物語が詰め込まれていて、ショートショートのような落語の源流の噺も散見。上巻だけでも満載。アジアの説話に似ているような、やっぱり江戸までは日本はアジアだなと。

常民の中の半職業的な咄の者、笑話を多用する説教談義僧、貴紳の座興に話した御伽衆たちは、職業柄、当然多くの笑話を用意して巧みに口演したので、この三者によって、中世末期には社会の各層で多くの笑話が紹介され、また人々も広く笑いに関心と興味を持った。(解説)p.370

この人を笑わせることを生業にした人たちが芸人の源流か?世界の説話でも王様の側で物語を聞かせる人たちがいた。『千一夜物語』や『鸚鵡七十話』もそうです。

説教談義僧とは、主に真宗僧侶だろうか?この後、肉食妻帯を破る僧侶が題材で、真宗がギリ正義みたいになっているので。

反体制的な話はあまり感じませんでしたが、「殺生禁断の札」(p.230)では、おそらく綱吉の政策を、どこかの芝居小屋の札かと揶揄する話もありました。常識や建前に疑問を投げかける雰囲気が漂うような。

今のお笑い芸人は特別変異なのか、この流れの中にあるのか。権力者の座持ちであり、民衆への啓蒙家であり。

特に多かった題材はジャルジャルのような言葉遊び、鶴光のような猥談、ケンコバのような尾籠、そして僧侶ネタ、それらの組み合わせでしょうか。

「大黒をするように、地にふせてする作法じゃ」p.77

男色の僧侶に巨根で凌辱された寺の若衆が「せつなさ」くて訴えると、その立本寺の僧侶は「不受布施ならば優しくするが、うちは〈じふせ〉(受布施・地伏せ)だから」と日蓮宗派の教義をネタに、さらに上記のように、僧侶の妻(大黒)を犯すような言い方。これが本書で最もひどい当時のコンプラでもアウトな話だと思いました。末尾に「ひぞう」(非常)な話だと記されてます。

小姓衆の歯くそ、いとめづらし。p.54

註では「小姓は男色の対象であるから、常に口中をきれいにするので歯くそが付かない」と。これが江戸時代デフォルト?

れきを、によつと出された。男、ふつと嗅いでみて、「これでこそ、間男でない証拠は知れたれ」といふた。さては臭いに極まりた。p.96

間男を疑われた医者の男根を出させて匂いを嗅ぎ姦淫の有無を確認するコント。

戒律を破り魚肉類を料理する所を檀那に見られ、あわてて下手な言訳をする生臭坊主の話は多い。(解説)p.346

刺身を食べたり男色したり廓に行く僧侶。そうやって取り上げてもらえるだけでも世間の仲間に入れてもらっていたと思う。

ぬめり坊主。p.107

遊女狂いの坊主。遊女が放屁したら「なまいだんぶ」としめる。(語尾の「ぶ」を屁の「ぶー」とかける)

「隣の法然と、こちの日蓮と噛み合わせてくれ」と頼みければ、子供むらがり寄りて、「日蓮こい、法然こい」と呼びて噛み合わせければp.118

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「法花寺と浄土寺と犬を飼うて口論すること」という噺。法花寺では飼い犬の名を〈法然〉と呼び、浄土寺が怒って、犬を飼い〈日蓮〉と名づけた。物を食わせず痩せさせ、噛み合わせ、痩せ犬の〈日蓮〉が、負けた。浄土宗と日蓮宗のライバル話。かつ、当時の僧侶への批判的な話。

「ばばいた、ばばいた」と申しける。/むじなとは獣の名、六字の名という事じゃ。p.180.271

 念仏ネタも多いです。浮気男が彼岸の寺参りに来て、「煩悩即菩提」と境内で女に後ろから抱きついたら婆さんで、咄嗟に出た言葉。「なんまいだ」とかけている。後者は六字と「むじ」をかけたなぞなぞ。

「只今は談義場なり。まず、うちへ行き、はこ帳簿につき給へ」p.104

 浄土寺での談義に来ていた女がおならをしてしまい(「取り外し」)、そばの男になすりつける。老僧が「おならも善知識だから名前を過去帳に記したい」と言うと、「私です!」と女が高座に近寄ってきた。「はこ帳」は大便の容器と。こういう法座こそ今の真宗寺院の法座の伝統なのかも。

門徒の小僧をみなみな侮りて「門徒は何の埒もない宗じゃ。女房を持ち、魚鳥など食うて、袈裟衣を着する事、のみこまず」/「我らが法が忝なければこそ、こちの真似する衆が多い」といふた。p.234

 天台、浄土、法華らに総攻撃された門徒の言葉。昔も今も変わらない関係性か。ある意味、門徒という僧侶から離脱した存在ゆえ民衆側につけているのかも。

石より堅い門徒衆p.240

おかみそりで頂いた布を〈表〉にして裁縫を勧められたら、お西(別名〈表〉)になるとお東の婆さんが拒否した話。爛熟した江戸の中で真宗門徒のガチさが際立つ。

「鬼の玉子であろう」p.34

饅頭を玉子と思った山の田舎者(山家)が、二三日暖めたらカビが生えてきた。

「せん」は洗うという字でござるp.156

 銭湯の〈せん〉の字を皆で考える噺。こういう言語的考察に知的さを感じました。

「これもちと雲くさいので困った」p.224

蛇の寿司は水臭い。では、雷の寿司は…という漫才的な掛け合い噺。〈雲くさい〉というワードが秀逸すぎます。

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永江雅邦
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