サブカル大蔵経186岡道男『ぶどう酒色の海』(岩波書店)
ギリシア文学・思想を紹介する本。国分功一郎さんと講談社選書メチエで対談されていた瓦さんの編集ということで買った。
こういう文学者・専門家のエッセイが大好物なんですが、もうそういうことをされる方は少なくなってきたのかな?専門が細かすぎた弊害か、大学の先生は忙しすぎるのでしょうか。
岡先生の見識や筆致はギリシア文学を呉先生や高津先生から継ぐはずの方だったように思われます。西欧の考え方の根っこ。それを極東の人間がなぞり深めていく。
昔のギリシア人は夕日に映える海原を眺めて、夕食のぶどう酒の連想から、海をぶどう酒に見たてたのであろう。いかにもギリシア人らしい。p.3
今日、「とらや」の夏の羊羹「海」をいただきましたが、その羊羹の色は青でなはなく。ぶどう酒色でした。やはり夕陽をイメージしているとのことです。
Amazonについて。一説によれば、彼女たちは実際は女ではなく、モンゴロイド系の部族だったと言われる。すなわちギリシア人は髭や体毛の少ない民族の男子を見て、女子と見なしたことが考えられるのである。p.29
体毛か…。私たちはそう見られているのか?漢民族や日本の戦国武将がヒゲを生やしたこともせめてもの男アピールなのかな?
知識は方々を放浪することによって集められるところから、知識の探求はますます遠くへ引き離す遠心的な力として働く。p.44
真摯な知識との付き合いが私を運ぶ。周りを導く。
デュオニュソス=バッカスの祭り。コメディーの語源は、祭の時酔った一団が行列を作って練り歩き、乱痴気騒ぎをすることをコーモスといった。p.82
結局コメディは酔っ払いか…。やはりお笑いの最大のライバルは酔っ払いなのかなぁ。
ギリシア語で性格のことをエートスと言う。元来エトスすなわち習慣と同じこととみなされる。習慣が性格を形作られると考えられた。p.102
習慣で性格が変わるんだな…。というか性格は習慣で出来上がっているのか…。
人間でないものとは何か。ギリシア人は人間じゃないものを神であると答えるだろう。人間を表す言葉mortalは死すべきもの、否定のinをつけると不死なるもの、神という意味になる。p.107
「佛」も人ならざるという意味。東西、神も仏もこの点で手を組む。
もし我々が不老不死のみとあるなら、自分が先頭に立って戦うこともないし、親しい者を戦場へ送り出すこともないだろう。はかないからこそ奮い立つ。p.114
生老病死は仏教だけではない。ギリシャの死生観はあらためて読みたい。岩明均『ヒストリエ』もこれからどう描かれるのか楽しみです。ある意味ギリシャを知ることはアジアを知ることになるのかもしれません。
人間は生まれが貴族でなくても、異民族であれ奴隷であれ、教育によって理想的人間になることができると言うギリシアに起こった考えはローマを経てヨーロッパ各地に広まった。p.128
これが〈教育〉のモチベーションであり危うさかなと思いました。
悲劇は鬱積した感情を吐き出させるわけです。(中略)アリストテレスは、悲劇の目的はこのような喜びであり、悲劇の機能、働きはこうした喜びをもたらす所のカタルシスがあると考えたのであります。p.137
悲劇の効能。涙の力。私たちは悲劇を読んでいるか?
私たちは、多くの、真実に似た偽りを話すことができる。私たちはまた、もし望めば、真実を語ることもできる。(ヘシオドス)。p.184
フィクションとノンフィクションの使い分け?
私たちは語られる言葉が全て偽りがあると思いながら、そこに喜びを見出すのである。ギリシャ悲劇はこのような意味で全てが偽りフィクションであり、それだけいっそう叙事詩や叙情詩に比べてより大きな魅力を持つものとなった。p.190
寺山修司が化粧する女のことを讃えていた文章を思い出す。ナチュラル?すべてはよそおいだヨ。所詮人生なんてそんなもんだ、と。