見出し画像

尊厳 《全摘番外編》

人間のシモの話というのはあまり好んで話されるものではないが
病院にいるとそれについて深く思わざるを得ない気持ちになってしまう。

隣の病室の話が丸聞こえなので、辛くなってくるのだ…。

その方は足を骨折して搬送されてきたようだ。
尿道には「あの」カテーテルを入れられて
いるらしく、
さかんにナースコールを押しては
「トイレに行きたい」と訴えているようだった。
看護師さんがその方に
「おしっこはちゃんとここ(管)を伝って出てるからね!
足が動かないからトイレにはいけないんだよ。
便はここでしてもらうしかないんだよ。
申し訳ないけど。
出たらすぐに綺麗にしてあげるからね。
足が折れてるから動かれないんだよ」

何回も何回も説明されているので
相当シモの世話をしてもらうことがイヤなんだろうなと思う…

てかあれ(尿カテ)ってサイズがあるんだって??
自分にぴったりフィットなサイズにしてもらえたら
あんなにも酷い違和感は感じないのではなかろうか?
(看護師さんたちからしたら『そんなめんどくせぇことしてられるか!オーソドックスなサイズつけとけ!』てなもんだろうけれどもさ

まぁそれはさておき

わたし自身もそうだったけれど
この患者さんも
シモの違和感にまつわることで他人の手を煩わすことが
本当にイヤなのだろうなと思った。
ここが人間の尊厳の最後の砦のような気がしている。

生き物である以上、糞尿はつきものだ。
アイドルだって糞も尿もする。
綺麗なままで生きていられるはずがない。
人間はただ生きているだけで汚れていく生き物だからね。
だからこそ、自覚を持って清潔を保たなければならない。
そこを他人に委ねてしまうことは、
まさに生殺与奪の権を他人に委ねるのと同じことなんだよなぁ…

これは決して他人事ではなく、全ての人にとっても自分ごとだ。
まだその時が来ていないだけで
いつか必ず真正面から向き合わなければならない壁だ。

高度な文明を持ち、快適さと清潔さを友として生きてきた我々が、一番最後にそれをまるっと奪われてしまうのだ。
しかも、今回の方のように骨折という突発的事故により、
突然奪われてしまったとあればなおさらだ。
受け入れるには時間もかかることだろう。

人は一人では生きていけない。
これは、前回の肺炎の時も今回の摘出時にも痛感した。
一人では生きていけないことがデフォルトだったのだ。
生まれてこの方誰の世話にもならずに生きて来れた時間があっただろうか?
ないだろう。
それが長ずるにつれ、まるで自分一人で生きて参りましたみたいな顔をするようになってしまった。
もうそこを全て諦めて、全部手放してしまおうと思ったよね。
わたしは一人では生きていけないですよ。
生まれたての赤ん坊だった頃、シモの世話から食事の世話から何もかもを全てしてもらっていた頃に
だんだん帰っていくだけなのだろうな。

それにしても。だ。
生まれたての赤ん坊と違うのは、
これまで人として積み上げたキャリアだよね。
そのキャリアの中で日々重厚に塗り重ねられた人としての最後の牙城を奪われてしまった時、
決して壊れない何か一つでもいいから
持ち合わせていたいものだと思った。

そして願わくば
自分が死ぬ時くらいは、
誰にも迷惑をかけず、
まるで水蒸気のようにフワッといなくなりたいものだとも思ったりするのだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?