岸田奈美さんのエッセイを読んだ。
誰かから相談を受けたとき、「誰かと比べなくていいよ」と言うことが多い。
自分のことに関しては、
誰かと比べる時と、人がどう思おうが貫く時と使い分けて生きてきてる。
時と場合と相手によって。
「そんなことも出来ないの?」
「それくらい出来るでしょ」
と言われて
「あなたと一緒にしないで」
「あなたの価値観を私に押し付けないで」。
社会に紛れている中で、誰かと接する中で、そう思うことは多い。
自分の立ち位置を変えると、右だったものを左にすることもできる。
矛盾を抱えて生きている。
矛盾と同居して生きている。
先月、2週間ほど入院していたとき4人部屋だった。
交流することなかったけど誰かが退院したら、誰かが入院してくる。
肋骨や腰、鎖骨、手術予定・転院相談・荷物を届けてくれる家族のこと。
退院を切望する声・家族に会いたいと願う電話。
漏れてくる看護婦さんとの会話から同室の方の症状を知る。
ベッドの上で一日中過ごさなきゃいけない人。
夜中、痛みと戦っている人。
部屋から出れない人もいる中で、トイレにも行ける・休憩スペース・階下のコンビニにも行ける僕は、4人部屋の中では比較的自由な人だった。
自分の怪我のことにしか気持ちが向いてなかったのだけど、ある日、ボンベセットや看護師さんが慌ただしく出入りし、ベッドの準備を始めた。
その夜、看護師さんに運ばれてきたのは、事故で片足を失った若者だった。
その時、入院してから初めて「自分はまだ軽傷だ」と思った。他の入院患者さんたちと自分を比べた。
同室の人たちのことが気になりだした。
会社に戻れば重症の部類だけど、病室の中では軽傷の部類。
見える世界が変わった。
同じ部屋にいる人たちがどんな想いなのか考えるようになった。
境界線。
「自己中」という言葉で片付けてしまっていたこと。
自己中な意見の発信源。
自分の意思通りに反応してくれない体と叶わない希望。
理不尽な要求を発してしまう背景と、対応している側、双方の心のケア。
右手も左手も 握った手を離さない。
綱渡りしてる人の存在を岸田奈美さんのエッセイで教えてもらった。
心持っていかれる記事でした。
有料記事なんだけど。
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病院で骨抜きのサバを出されては怒り狂う人よ|
岸田 奈美 @namikishida #note https://note.kishidanami.com/n/n11a124027bd1